彼女は、かの有名な指揮者、シャルル・ミュンシュの秘蔵っ子であり、彼と演奏活動を共にしていた女流ピアニストである。旦那様は、シュバイツァー博士の遠縁でもあった。
私は学校外のレッスンに、たびたびアンリオ先生のお宅まで、ベルギーとフランスを繋ぐ新幹線、タリスに乗って通った。試験前になると、月一くらいで先生が開いてくれる弾き合いに参加し、ルーブシエンヌの公会堂のようなところで、先生の生徒さんたちと一緒に演奏をし、聴き合った。
先生は以前、ブリュッセルの音楽院に勤めていらっしゃって、退官してフランスに戻られていた。先生の後はマダム・アンシュッツという方が引き継いだので、最初の一年は学校では彼女に習っていたのだけれど、はっきり言ってあまり良いとは言えないレッスンだった。それを見越した奈良先生が、あらかじめ私をアンリオ先生に紹介して下さったのである。アンシュッツ先生はすぐにまた退官されたので、私たちは自動的に、マダム・コルニルに移った。これは幸いだった。コルニル先生は厳しさの中にも熱心でわかりやすいレッスンをして下さり、親切で学生思いであった。そんなこんなで、私たちは留学中、いろいろな先生に師事しながら、音楽を吸収して行った。
ルーブシエンヌの駅に着くと必ず、「Je suis taxi !(私はタクシーだ)」と文句を言いながら、アンリオ先生自身が運転して迎えに来て下さった。「merci beaucoup(ありがとうございます)」とお礼を言って乗り込む。
少し走ると大きな門が見えてきて、先生が持っていたリモコンをかざすと、ガガーッとゆっくり門が開く。「ホラ、便利だろう?」と私にウィンクをする。美しい庭の中の小道を車で走って行くと、まず庭師の家が見え、その一番奥に、木々に囲まれた先生の屋敷が建っていた。
先生は貴族の出身で、一族はワインを製造している。「アンリオシャンパン」は日本でも買える銘柄なので、ぜひ一度ご賞味下さい。そんな訳で、先生はお茶目でユーモラスな性格の中にも、気品たっぷりのおばあちゃまであった。長い金髪を束ね、青く澄んだ目はいつもイタズラっぽく光っており、口元はいつも微笑んでいた。
私はいろいろな曲を持って行き、レッスンしていただいたが、一度リストの「ため息」を見ていただいた時に、
「恋人を思って、ため息をついてみろ。疲れた時ではないぞ。」
と言われ、直後に彼女自身が遠くを見つめながら、フッ、とため息をついてみてくれたのだけれど、その美しさと言ったらとうてい真似できるものではなかった。
ラヴェルの、「道化師の朝の歌」のレッスンの時はまた、その快活なテンポを刻む彼女の足元は、おばあちゃまとは言えない素晴らしいリズム感で、これまたとうてい真似できなかった。ピアノは二台置いてあり、先生がもう一台で弾いて下さるのだけれど、音色が美しすぎて、もしかしたらそっちのピアノの方が格別に音が良いのではないか、と思い、「ちょっと先生、代わって下さい!」と申し出て交代してもらったが、やはりどちらで弾いても先生の弾く音色の方が素晴らしいのよね、と先輩方も悔しそうに言っていたりした。
生徒たちが恋人を連れてレッスンへ行くと飛び上がって嬉しそうにし、うやうやしくお辞儀をしてその恋人をからかった。
一度私がプーランクのコンチェルトを持って行った時、先生は非常に嬉しそうに声をあげて、
「おお、この曲は懐かしい! j'ai jouée avec Poulenc!」
とつぶやかれ、
「ええっ、今、先生…jouée avec Poulenc(プーランクと一緒に弾いた)、って言ったよね?」
と、私たちは沸いた。そうか、あのプーランクと同じ世代に生きた人なのだ。すごい!と、帰り道に盛り上がってしまった。
先生は、私が日本へ帰国してすぐに、ある朝突然、眠るように息を引き取られたと言う。知らせが入った時、ちょうど私は出先で演奏している時であり、しばらくショックで呆然としたが、先生に思いを込めてピアノを捧げた。
パリ行きは、私の留学生活でも思い出に残る日々であった。
そのうち、パリに私の後輩も留学してきて、しばしばレッスン帰りに泊めてもらい、大いに楽しく語り明かしたのである。
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