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2017年4月30日 (日)

十八 コルニル先生

 ブリュッセルのコンセルヴァトワールでは、毎週レッスンが行われた。

 それでも毎回、教授のレッスンが入ったわけではない。忙しい教授の代わりに、何度かアシスタントの先生によるレッスンが入る。世界各地での演奏活動に忙しいピアニスト教授陣だと、ほとんどがアシスタントのレッスンとなり、肝心の教授のレッスンが受けられないんだと、友人たちがよくこぼしていた。

 私の先生は、とても熱心で学生思いの方だった。

 ドミニク・コルニル先生。私の、音楽院二年目からのピアノの師匠である。

 黄色いバイクにまたがり、乗馬ブーツのようなカッコいい靴を履いて、さっそうとコンセルヴァトワールまで出勤していた。

 彼女は一九七五年にエリザベート国際音楽コンクールで十一位に入っている。ファイナリストには十二人が残るのだが、この中に入るだけでもすごいことだ。

 生真面目で、アンリオ先生とはまた違い、音楽をドラマチックに教えるというよりは、テクニックや指使い、テンポ設定など、基礎と音楽作りについてガッツリ教えてくれる方であった。楽譜なんて、日本の全音出版を持っていったらもうダメ。
「どこの楽譜だこれは?」
 と言って、却下される。指使いがまるでなっていない!と、全部直され、パデレフスキ版でも持って出直して来いと言われる。全体的に指が寝ていて柔らかい音しか出せない私には、エチュードを弾く際、徹底的に打鍵を直された。

 ある時、先生にはとても機嫌が悪かった時期があった。プライベートで何かがあったに違いない。私がレッスンを受けていた時、なかなか弾けるようにならないパッセージを指して、先生は大変お怒りであった。

「どんな練習をしてきているの?言ってみなさい。」

 と言われ、私がフランス語でまごついていると、

「では、どんな方法で練習をしているのか、やってみせろ!」

 と冷ややかに言う。

 実は私は練習をなまけていたわけではなかった。
 私には、独自の練習方法があったのだ。

 多くの曲をたくさん抱え込んだ時、どれか一曲に絞って練習するよりは、まず、全曲をだいたい弾けるようにザッとさらい、それから徐々に部分的に焦点を定めて細かく練習する方法が、自分にとっては一番、ストレスが少なかった。彫刻で例えるならば、まず全体像を大雑把に彫り、そこからだんだん細部を固めていくというイメージである。

 そこを、うまくフランス語で説明できなかった私は、焦りと、悔しさとで、気が付いたら涙が頬をつたっていた。びっくりした。レッスンで、先生の前で泣いたなんて、後にも先にもない。初めてのことである。しかしもっとびっくりしたのは先生であった。彼女はすっかり慌てて、自分の発言を詫び、それ以来しばらくの間、私に対しては腫れ物に触るかのような扱いになったのである。

 あの時期、先生に何があったのかは謎のままであるが、しばらくして、彼女のヒステリーは治り、またいつもの穏やかなレッスンに戻っていった。

 先生はブリュッセルの中心地から少し離れた郊外の、大きい一軒家に住んでいて、私たちはよくホームレッスンに行ったが、学生からはレッスン代はとらないとおっしゃったり、コンクールに落選した時は「私が至らなかった。」などと潔く謝られ、学生の方があわてたり、例えるなら、ベルバラのオスカルのような、凛とした女性であった。

 それにしても、あのコンセルヴァトワールのボロピアノ。
 ヨーロッパの音楽院のピアノは何百年も使われていて、よく弦が切れた。

「またあいつがラフマニノフを弾いた時に、ここを切ったんだ…」

 なんて、みんなよく愚痴ってたな。懐かしい。

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