八 北京の彼
その彼は、イギリスからチャリンコに乗ってやって来た。
何故イギリスかと言うと、北京大学の夏休みの間、彼は帰国したイギリスのルームメイトの家に遊びに行っていたからである。そこで彼は適当な自転車を調達し、イギリス中を走り回り、その後、チャリを列車に積みドーバー海峡を越えてオランダに入り、そこからベルギーまで走り、私のアパルトマンの目の前までやって来たのである。もちろん、彼自身楽しむためと、私をビックリさせる目的で。
ところが計画は完璧には行かなかった。そこで待っていて、と言われた私が、そんなこと聞いちゃいなくて、駅まで迎えに行っちゃったからである。だって自転車でイギリスから来るなんて聞いてない。てっきりユーロスターで到着するもんだとばかり思っていたから(普通は思う)私の心は南駅に走っていた。
なかなか来ないもんで、おかしいなと思いながら戻った時は、大変な騒動になっていた。よくは覚えていないけど、玄関ベルを押しても私が出ないことを心配した彼が、先輩アキカさんを呼び、アキカさんはアパルトマンの大家を呼び、鍵を開けてもらって、みんなで家宅捜索をしていた模様。
「彼女、身体が弱くてよく倒れるんです。中で倒れてるのかも」 と言って心配していた彼らの目の前に、戻ってきた私が到着。
今思えば漫才のような話だけど、あの時は彼にめちゃくちゃ怒られた。ここに居て、って言ったでしょう!って。そりゃないよ。国際電話でサラッと言われたことなんて覚えてないし、だいたいそっちが悪いのだ、チャリンコでなんか来るから。
って、のっけからそんな出だしで登場した彼を、仲間内が面白がらないはずがない。たった二週間のブリュッセル滞在だったが、かなりのインパクトと共にその存在感を残してゆき、二度目に訪問する時まで、私の留学生活を常に大陸の東の果てから応援してくれていた人であった。
彼はその後二年ほどで日本に帰国したが、結局、私は彼につられて帰国することはなかった。帰れば彼は居る。でもその時の私は、悩みまくった末に現地での勉強をとった。こうやって書くとまたまたカッコつけてるみたいだが、私という人間は恋多き女でありながら、ただそれだけでは満足できない欲深い女なのである。(我が師匠説)
彼とはこの間久しぶりに友人の葬儀で再会した。全く変わらない風貌で、懐かしい話で盛り上がってきたけれど、その後私は、彼も知らないようなたくさんの出会いに支えられながら、お金を工面しつつ、一年間だけと思っていたエンドレスな留学生活は続いて行ったのである。
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