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2017年5月20日 (土)

五十三 スイスを後にして

 マイエンフェルトの小さなホテルは、素晴らしく快適なところだった。

 朝、起きると快晴。そこには三百六十度、見渡す限り、アルプスの山々が。すごい!

 私たちは青空の中、まだ雪の残る、高くそびえ立つ山々に囲まれて、新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込み、箱根じゃないんだぜぇ〜、スイスなんだぜ〜。なんて言いながら笑った。感動で涙が出そうだった。

 何しろ、なんの準備も知識もないから、まずインフォに行って、日本語案内の紙を手に入れ、それだけを頼りに歩き回る。もう、海外はお手の物。二人とも、慣れたもんである。ヨーロッパのリズムはゆっくりで、旅行においても、せかせかと動き回ることの多い日本人と、食事に何時間もかける欧米人とは、はっきり言って全然違う。

 のんびりと、迷いながら移動。「ハイジ」と書いてある標識を見ながら、適当に山を登った。

 そこには、本当にアルムおんじの小屋のような家が建っていて、しかも、中からおじいさんそっくりな人が出て来るのを見て、思わず顔を見合わせる我々。あれは一体誰だったんだろう。今でも気になる。とにかくも、山からの眺めは最高だった。ハイジの泉を見て、散歩道を歩き…。

 そこからラガーツの村へ移動。ラガーツとは、ハイジの物語の中で、クララのおばあさまが温泉療養しつつ、クララの歩けるのを待った場所である。(やたらと詳しい。私はハイジの大ファンだったりする。)そこでもホテルは大当たりで、マダムたちはフランス語が通じ、大変親切にしてくれた。

 だいたいにおいて、よっちゃんは運のいい男なので、一緒にいると何事においてもスムーズに行く。ハズレたことが少ない。彼いわく、運とはまわりまわってくるものであり、一度運を掴んだ時にはそれにしがみつかずに、また他の人へと気前よく受け渡すといいそうである。それを、まさに寅さんのようにやってのける姿は圧巻であった。私なんてせこくて、いつも運にしがみついちゃうから、まわってくる運も少ない。その代わりに努力でカバー、みたいな。全く、彼の気前の良さは、いつもいつも見習うべきものがあった。

 で、ラガーツの後は、バーゼル、オッフェンベルグ、ストラスブルグと、いろいろ寄り道しながら、フランス経由で帰る。中でもベルギーのお隣さんであるルクセンブルグは気に入った。静かで、素朴で、緑多く、よいところ。また遊びに来たいな、と思いながら、その地を後にした。

 ブリュッセルに戻ったのは午前一時とある。日記には、「とても早い時間だった。」などと記されてある。これにはたまげた。今の私にはとうてい無理。日付変更線をまたぐともうダメ、とたんにボロ雑巾のシンデレラ状態である。体力が持たないし、一週間はやられてしまう。これが若さ、というやつであろうか。あの時はピチピチの二十代。ああ、羨ましい限りである。

 そんなこんなで楽しいパックの旅行は終わり、友人、ユキもナポリやソレントへ楽しい旅をしてきたようであり、学生たちは皆、大いに息抜きをして、再びやってくる六月の試験へと準備を始めるわけである。四月からは日本より、私の後輩たちも続々と留学をしに欧州各地へやって来て、ネットワークは広がって行くのであった。

 そしてこの頃から、東北の彼氏とは、何となく雲行きが怪しくなり始めるのである。
 

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