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2017年5月12日 (金)

四十三 二年目の友人たち

 二年目になると私は少しずつ生徒も増え、楽譜を買う余裕なども出来てきた。

 ブリュッセルには楽譜屋さんが二軒あって、学校からグランプラス方面に下りて行く途中、アダージョやポワンドルグ(仏語で、フェルマータの意味)という、見るからに楽譜屋。という名前の店などで、マニアックな楽譜を探しては喜んでいた。

 でもその他はだいたい、学校の図書館で借りてコピーしたり、メディアティックというCDレンタル屋で借りてはテープにダビングしたりしていた。今ならユーチューブでクリック一つで聴ける時代。便利になったものだが、その頃はまた、探しに行く喜びというのがあった。

 楽譜をめったに買わなかった訳は、いつか帰国する時に、膨大な荷物にならぬよう配慮したからというのもある。友人たちの中には、日本から楽譜をどっさり送ってもらった子らもいたが、私はやめておいた。結果、すごい量のコピー譜が、今、楽譜棚に置いてある。貴重な先生の書き込みがあるので、捨てられないのだ。でも、探すのに一苦労する。よって、生徒たちにはなるべくコピー譜は使わせず、使ったとしてもスケッチブックなどに貼り、楽譜を極力買うように言っている。まあ、もともと、楽譜をコピーしちゃいけないことになってるみたいなんだけどね。

 コルニル先生のレッスンは大変わかりやすく、熱心で、多い時など二時間もみてもらえた日もあった。アンリオ先生のところへ行くしかなかった、一年目のひどいレッスン状況とは大違いである。ただ、コピー譜を持って行っても怒られないが、全音出版の楽譜を持って行くと叱られる。かろうじて日本から持って来た楽譜だったかもしれないが、だからこれは使わなかった。

 図書館などにいると、いろんな国籍の子と仲良くもなれた。韓国(だったかな)のクーユンは、親切だったが高飛車だったし、中国混血のレティーシャは、とってもいい子で努力家であった。背が低くて手も小さく、何度も試験に落ちて、結局卒業できなかった気がする。応援していただけに、残念であった。

 日本からの留学生も、この年はとても多かった。芸大卒、桐朋卒、東京音大卒、いろんな大学からやって来る。中には、来年渡ってくる彼女を心待ちにしている彼なんかもいて、微笑ましかった。今はスペインで活躍しているであろう、Mr.ミタなんかには、「カオルちゃんとは絶対、その場限りの関係にはなりたくない、後が怖そうだから。」とか言われちゃったりなんかして、大笑いしたものである。覚えてないと思うけど。

「私、ピアノ以外は何にもやったことないの。カオルちゃん、お裁縫得意なんでしょ?」
 と言う可愛い箱入り娘もいて、スカートの裾からほつれた糸を縫ってあげて、感動されたこともあった。

 とにかく、いろんな個性的な子たちがやって来たので、とても楽しい年になった。でも一様に言えたことは、裁縫はできなくても音楽にかけては皆、秀才だったことである。ピアノはもちろん、和声なども二年目の私なんかよりもずっと高い点数を取り、音楽史などもズバ抜けた成績で合格したりしていて、素晴らしい、の一言であった。おめでとう、と声をかけると、「まあ、人間ひとつくらい、いいところがないとね。」と、ニヤリとかわされたものである。

 そんな優秀な学生たちとよく、大使館に行ってはコンサートを開いたりした。
 音楽留学生と大使館員たちはとても仲が良く、その中でも特に私たちは仲良しだった。大使館に行っては、恋の相談までして来たり。いろいろお世話になったものである。

 そして私は、二年目を順調にスタートしていたのもつかの間、秋も深まり冬が訪れた頃、ギックリ腰になった。

 ピアノの椅子に一週間座れない状態が続いて、すっかり気弱になり、まわりの友人たちや彼氏にぶちまけるのである。

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