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2017年5月10日 (水)

三十九 師匠たち

 帰国中、師匠の演奏会を聴きに行った時のこと。

「オイ、今度うちに遊びに来いよ。話聞いてやるから」

 と、我が師匠Mr.カワソメは、楽屋にいる後輩たちの前でおっしゃった。

「いいな〜、カオル〜!」なんて、みんなで盛り上がりながら記念撮影をする。

 そんなわけで夏休みには、師匠のところでいろいろ話を聞いてもらい、ピアノもついでに聴いていただいて、一年間で少しスケールが大きくなったんじゃないかとか、曲づくりについてアドバイスを受けたりして帰ってきた。

 奈良先生もまた、懐かしいブリュッセルの話を聞いて下さり、この先もう一年へ向けてのアドバイスなどをいただく。

 師匠たちに私の話を聞いてもらったのは、主にこの時と、本帰国した時であった。二年目以降になると向こうでの生活も慣れてくるが、完全帰国した時は、さてこれから先どうするか、と誰もが迷う時期だからである。帰国したはいいが、仕事はなく、リサイタルに向けて準備を進める苦しい時。日本で軌道に乗るまでは本当に大変だった。

 それから夏休みには、お墓参りもした。

 大学時代の私を育ててくれた、今は亡き恩師、てっちゃんのお墓である。

 先生は私が大学四年の時に病気で亡くなった。六十三才であった。とてもユニークな師匠で、私たちの個性を尊重してくれながらも、学生の能力を伸ばす才能に溢れた方であった。私は先生のお墓に来ると決まって先生と話ができるという特技を持っていた。先生には霊感があったので、先生のお墓限定かもしれない。はたまた、妄想かもしれない。でもそんなことはどうでもいいのだ。とにかく、私はここへ来て、先生にいろいろなことを報告し、お話をした。

 八月の下旬頃、ブリュッセル音楽院でも動きがあり、私たちが一年間ついたアンシュッツ先生が退官され、コルニル先生に振り分けられることが決まった。どんな先生なんだろう。私たちは揺れた。ユキちゃんなど、もう他の国のコンセルヴァトワールを受ける気になっていたようだった。まあでも現状はとにかくこれ以上悪くはなるまい。

 さて北京の彼の方はというと、めでたくこの秋からの中途採用が決まった。中国にも店舗がある、大手の流通業である。どうやら、最初は東北に配属になるらしい。九月の入社式に向けて、意気揚々としていたと思う。

 そして九月七日。楽しかった二ヶ月ちょっとの一時帰国を終え、私はもう一度、二年目の留学生活へ向けて旅立つ。家族と愛犬に別れを告げ、最後の日は彼と一緒に過ごし、空港まで送ってもらい、お別れをした。これで何度目のさよならだろう。そうそう会える距離じゃないから、かえって開き直れるんだけど、やっぱり寂しい。どこでもドアーがあればいいのにと思った回数では、私が世界でトップ賞をもらえるはずだ。(そんなことないかもしれないけど)

 彼は最後にお寿司を食べながら、寂しそうな私に向かって

「頑張ってれば結果はついてくる」

 とまた、お決まりのセリフを言った。

「頑張るね。」「頑張って来いよ。」

 そう言い交しながら、やっぱりゲートに入って行く時、私は泣いてしまった。

 楽しい時間をどうもありがとう。そう思いながら、機内で気を取り直す。

 エールフランスは、パリに向かって飛んで行く。楽しかった日本。また戻れる日まで、頑張るぞ。そう思いながら、私は長旅でまたもやヘトヘトになるのだった。

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