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2017年5月 3日 (水)

二十五 バルデモサの元旦

 マヨルカ島は、ショパンと女流作家のジョルジュ・サンドが一冬の間、パリから逃避行して、彼の結核療養で訪れていた島として有名である。ここで雨だれや、バラードなどの名曲を作曲したのですね。

 マヨルカの天気は素晴らしかった。とにかく、地中海の青空というのは、その青さのレベルが違う。真っ青な絵の具をキャンバス一面に塗ったかのような、濃く澄み切った青空である。後になってギリシャへ行った時もそう思った。光がとても眩しい。

 次の日の元旦は、風が強かったがあたたかく、気持ちが良くて、春を思い出した。ふと、日本に帰りたいな、と思う。そう思いながら、「地中海なんだぜ〜、日本海じゃないんだぜ〜」なんて言いながら、私たちは歩いていた。歩きに歩き、バルデモサの村まで行くのに船が出ていないことに気付き、十五時のバスにも間に合わないことが予想された我らは、誰からともなくヒッチハイクに乗り出す。そうせずにはいられない、切羽詰まった状況であった。

 三人の若い日本人の女の子たちが、大通りで手をかざしてヒッチハイクをする姿に、車の人々は皆、笑いながら通り過ぎて行った。すぐに一台、「ヘーイ!」と言って止まってくれた車があったのだが、そこには何人かの男たちが乗っていたので、それは無視。親切な人たちだったかもしれないが、危険すぎる。

 そのうち、優しそうなマダムが停まってくれた。十五時のバスにどうしても乗りたいと訳を話すと、快く乗せてくれた。彼女は偶然フランス語が話せたので、とても嬉しかったのを覚えている。ヒッチハイクはそれが初めての経験だったけど、その後帰国してから、北海道でも同じように切羽詰まった状態になり、我が経験を生かして夫と共に生涯二度目のヒッチハイクをやり、成功するのである。

 とにかく、親切なマダムによって無事目的地にたどり着けたのだが、結局のところ私たちはバスではなく、タクシーでバルデモサまで行くことになった。間に合わなかったか、出ていなかったか、それは忘れた。しかも、入ってみたかったショパンの家は休館日。まあ元旦だし、仕方ない。バルデモサは海岸沿いとは違い、とても寒かったが、素敵なところであった。スペインは全体的に良心的な値段で、ホテルのビールも安く、夜はテイクアウトで宴会をした。

 私は二日にはブリュッセルに帰り、短い間ではあったが、とても楽しい旅であった。ブリュッセルは寒く、またしても暗いどんよりとした街に戻ってきたのであるが、自分の部屋に着いたらホッとしたものである。

 そしてまた、新しい年が、この暗い半地下の部屋で始まろうとしていた。

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