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2017年5月 7日 (日)

三十一 私の気持ち

 もう一年延長したい。

 というか、延長しなければもはや、卒業はできない。テクニック実技が悪く、和声も落とされた今となっては、卒業資格ナシで帰国するしかなかった。はっきり言って、資格なんてどうでも良かったけど、そのままで帰るのは悔しかった。もっと勉強したい。そう強く思った。

 と同時に、早く日本に帰りたいとも思った。それは理性の反対側で、感情が叫んでいるような感覚であった。ここに居るのは辛い。帰って、家族や、友達や、彼のそばに戻って、平和に暮らしたい。どうして誰も、戻って来いと言ってくれないの?そう思った。本当に寂しかったし、苦しかった。

 一緒に過ごしていた相棒のよっちゃんは、そんな私に気付いていて、彼自身複雑な心境であったに違いない。彼は働いていたが、世界のどこででも生きていけるような、言ってみれば男はつらいよの寅さんみたいな人物で、どこであろうが飄々と、実に楽しく暮らしていた。そして、彼独特の運の強さがあった。私はそんな彼が羨ましかった。彼は「まあ、夏休みに一度帰国して、色々考えてきたらいいよ。」とだけ言った。

 住んでいた半地下の部屋の方も、もしかしたら大家さんの奥さんの娘(前夫の娘である)がチリから帰って来るかもしれず、そうしたら私は延長して住むことは難しい、と言われていた。だから新しい部屋探しなんかも、開始してみた。グランドピアノをガンガンに弾いてオッケーなアパルトマンは、なかなか向こうでも難しく、値段もそれ相応に上がるので、良いところを見つけるのは至難の技であった。ブリュッセルの学生が住むような部屋の相場はだいたい五〜六万円くらいだったので、やはりここはどうしてもあの半地下を手放すのは惜しかった。

 自分の揺れる心を天秤にかけ、「ここに残って勉強を続けたい」という気持ちの方に傾きつつも、「帰りたい」と故郷を想い続けるのは、きっとここでの生活が気付かないところでストレスとして膨れ上がっているからかもしれない。日本で夏休みの間、リフレッシュすれば気持ちも変わるかもしれない。それに何よりも今、実技試験を控えて精神的に追い詰められているからであろう。

 そう考えながら、我々学生たちは、皆思い思いの感情を抱え、海外での苦しい試験前に突入していくのである。

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