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2017年6月 8日 (木)

八十五 四月の私

 四月に入ってすぐ、友人ユキのコンサートがあった。

 プログラムは覚えていないが、多分、試験の曲と自分のレパートリーとを揃えて弾いたのではないかと思う。彼女はこの年、ベートーヴェンの三番のコンチェルトと、バッハのパルティータ二番、ラヴェルの水の戯れ、プーランクの小品、ショパンエチュード10-5、ラフマニノフのエチュードop.35-7を選曲している。

 ユキは音楽性豊かに弾き、私は友人として大いに満足した夜だった。ライバルではあっても、私たちは共に応援し合い、時には嫉妬もしながら、それでも友が良い結果を出すことが嬉しかった。自分も頑張ろう!という気持ちになれるし、これからの励みになる。そして我々は、終わってから皆でクスクス屋で打ち上げをした。

 パリの友人、エミコも、スペインのコンクール先から電話をかけてきて、三十番でディプロムをもらった!などと速報を送ってくれた。その時はスペインのコンクールが人気で、ユキも勢いよくそのまま現地へ飛び、六名の中に残って一次予選を突破したり、後にエリザベートコンクールに出場するMr.ミタなんかもスペインで二位を受賞したりして、私たちは沸いていた。

 私は九月に、イタリアのバルセシアコンクールを受けようかということになり、とりあえずの目標が決まって意気揚々としていた。もう落ち込んではいられず、とにかく練習するのみ。ショパンのエチュードは難しかったが、ようやくこの頃から手に付き始め、慣れると魔法をかけたように手が動く、と日記に記載している。

 コンチェルトは四月下旬になって初めて、コルニル先生と合わせた。あれだけ叱られていた曲だったが、この日は「bien!(なかなか良い)」と褒められ、大喜びで帰宅している。

 それからフランス語のレッスンも始めた。マダム・バージバンとの出会いである。始めはよっちゃんが紹介を受けて習っていた先生だったのだが、彼の方はすぐに挫折してしまったため、それならば私がと、ブリュッセル三年目にしてもう一度、きちんとフランス語を習い始めたのである。

 彼女のレッスンはとても教え方がうまく、楽しかった。毎日、日記をフランス語でつけることを宿題に出され、私は嬉しくて、書きに書いた。おかげで、メキメキと上達をし、日本語の日記にもフランス語が増えているのはこの頃である。和声の勉強の方も乗っていて、夜中はだいたい、ピアノの上で寝ているプーと共に、作曲に没頭していた。

 そうそう、余談であるが、相棒よっちゃんは、長いことブリュッセルに住んでいて、最後までフランス語がうまく喋れなかった。代わりに何故か、スペイン語が喋れるようになったりしていた。しかし喋れないが、ヒヤリングはずば抜けていて、一度お店で電子レンジの説明なんかを受けている時に、私はさっぱりわからなかった箇所を、よっちゃんは「だからね、ここが解凍ボタンで、ここを押すとこうこう、こうなるって言ってるんだよ。」なんて、パーフェクトに理解できていて、感心したものである。

 そして彼の方の生活も変わり、来年に向けて生活費を削減するために、アパートを引き上げてわざわざ私の暗い半地下に引っ越してきてくれた。来年は一緒に、なんとか生活しながらやっていこうと決めたのである。お互いに将来の約束をしたわけではなかったが、彼の方も私の勉強を応援してくれていた。感謝しきりである。

 私は徐々に、ブリュッセルに根付いて行った。ここでずっと暮らして行こうと思えばできる環境が整いつつあったのである。そんな私に感づいて焦り始めた父は、私の写真を社内にばら撒き、勝手に見合い相手を探し始める。一方、祖母の介護に必死な母は、私のことなど二の次であった。おばあちゃんは日に日に悪くなり、肺炎を起こしては意識不明になったり、もうだいぶまわりの人間のこともわからなくなっているようであった。

 四月、日本は桜が満開。私はもう、長いこと見ていない。妹、ユリコは彼氏とうまくやっているようだった。みんなに会いたかった。ここでの生活はまわり始めたが、私の心は常に、故郷にあったのである。

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