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2017年6月28日 (水)

百七 十二月の日々

 十二月に入ると、いよいよ父が見合いの話をうるさく言い出してきた。本当にうるさい。ある時は、九州のいい人がいると言ってきたし、またある時は、北大のいい人がいると言ってきた。どうやら意地でも私を早く帰国させたいらしい。このままでは、よっちゃんと一緒に永住する、なんて言い出しかねないと思っていたのだろう。その気持ちはわかるが、結婚相手くらい、自分で決めるわい。と内心思っていた。けれど一方では、そんな父を面白がっている自分もいて、好きなようにやらせておいた。こりゃあ一度、日本に帰って、父の気の済むように見合いでもしてやって、破談にでもするか。そうすりゃ、落ち着くだろうな。なんて思ったりもしていた。悪い娘である。

 私生活が落ち着いていたせいか、私のピアノは、かなりはかどっていた。バーバーのソナタを早々にコルニル先生のレッスンに持って行って、二楽章まで進み、「大きな曲だ。とてもスペシャルな曲だし、とても現代的であるし、何より大変美しい。」と言われている。アシスタントには、テーマをレガートに弾いたらどうかと言われて私は憤慨しているが、コルニル先生には、ノンレガート。マルカートだ。その方がずっといい。と断言され、大喜びしたりしている。頑張って、この曲をクリアーに仕上げたいと思った。

 ドビュッシーのエチュードは、ヨーロッパでの勉強は初めてだったので、私はかなりとまどった。教わることが多く、自分はまだまだ日本には帰れないな、学ぶべきことが多すぎる。と落ち込んだりもした。プーランクのコンチェルトは、その合間に苦し紛れにさらっていて、何とか年明けのレッスンに間に合わせようと必死だった。

 十二月はクリスマス市も開かれるので、練習の息抜きによっちゃんと出かけ、一変してアイススケート場となったグランプラスに感動したりもした。大きなサパン(クリスマスツリー)も買い、二人で楽しく飾り付けをしたり、よっちゃんはお得意のティラミス作りに精を出したりした。この時期、トッコちゃんとも私はよくデートしている。そして私はバージバン先生から聖書をいただき、クリスマスイヴには、私たちはディナーを済ませてから教会のミサに行く。神父様は本当のサンタのようであった。コラールは美しく、私もちゃんと歌えたので感動だった。イヴはおばあちゃんの誕生日でもあったので、今頃天国で喜んでくれているかな、なんて思ったりしていた。

 クリスマスには、パリで寂しくしていたエミコが遊びに来て、何日間か、大いに盛り上がる。

 大晦日は鍋を囲み、オリビエたちとシャンパンで乾杯しながら、ハッピーニューイヤーを祝った。ブリュッセルの街では、あちこちで花火が上がっていた。一九九九年の、幕開けである。

 ああ、本当に、平和で、静かな秋冬であった。この時期が一番、私の中では、よっちゃんとも仲良く過ごせていた時だったと思う。それなのに年が明けて、事態はまたもや、一変してしまうのだ。それもこれも、今の私に繋がっていることなのだから良しとしても、この平和なひとときをとても愛おしく思う。

 そしていよいよ帰国の年となる、一九九九年は始まるのである。

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