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2017年6月 2日 (金)

七十四 入試、そして二人暮らし

 九月十八日。十四時から、ディプロムスーペリウールの入学試験は行われた。

 と言っても、実技のみ。日記を読み返して初めて、おお、入試なんてあったのか、と思ったくらいだから、向こうの入試とは本当に儀式程度なものである。卒業資格はそう簡単にもらえないが、入る時は相当下手くそでない限り、基本的に、来る者拒まずであった。ましてや私たちはプルミエプリを取得しているのだから、進学は約束されたようなものである。

 まずコンセルヴァトワールへ行き、受付順に弾く。私は夕方に弾いたが、それまでユキたちとカフェでお茶していた。曲目は、六月の試験で弾いたものの中から、ブラームスの間奏曲と、プーランクのトッカータが当たったが、イマイチ乗り切れず。そりゃそうだ、あんなに日本で遊んじゃった後なんだから。何しろ、気合いが違う。夜、コルニル先生からの電話で、八十三点だったと聞かされた。う〜む。まあ合格したらしいから、いいか。

 何とか儀式は終わり、それから例年によって、今年度のプログラム曲を決め始める。今年は何と言っても、コンチェルトが入ってくる。ディプロムスーペリウールの準備曲は、プルミエプリとは違い、もっと多くの、より大きな曲を用意していかなければならない。加えて、私は師匠の言いつけ通り、今年は国際コンクールを受けようと思って準備を始めた。現代曲が得意なので、二十世紀コンクールを受けようか、色々と悩んだ。結局のところ、アンリオ先生が現代曲には反対されたので、違うコンクールを目指してぼちぼち頑張り始めたところだった。

 和声の授業もまた、今年こそは中級のモワイアン合格めざして、闘志を燃やしていた。メルクス先生とレッスン時間の打ち合わせをし、私は張り切っていた。多少、東北の彼と別れた痛手はあったが、そのおかげで、三年目の私はかなり日本から心が遠ざかり始めていたと思う。そして、私の傷心を癒すかのタイミングで、高校時代の友人が、一ヶ月強の滞在をしに、ブリュッセルの半地下へやって来たのだ。

 彼女のあだ名は、のら。 アフリカから、夏の間の避暑としてベルギーに来てくれた。高校時代、しばし一緒にバレー部で共にした仲間である。(私は一時期、女子バレー部のマネージャーなんかをやっていた。気が利かなくって、全然仕事できなかったけど。)

 何故アフリカからか、と言うと、彼女の旦那さんが、アフリカのボツワナで海外青年協力派遣隊として活動していたのである。夏の暑さは半端じゃないということで、彼女だけはどこか、友人のいるヨーロッパにでも行って来い。と言われて逃避行してきたのだ。彼女が話してくれた、アフリカの話はすさまじかった。ある日、起きると背中にノミがたくさん食い込んでいた話も、その一つ。旦那の髪の毛は私が切るんだヨと言って、その腕前をよっちゃんの頭を使って、披露してくれた。ヨーロッパは暮らしやすく、天国であっただろうと思う。

 のらは大変な勉強家であったので、滞在中、カセットテープ片手に、独学で英語を勉強していた。その他は滞在費の代わりに料理を担当してくれたので、私はとても助かった。何よりも、のらとは生活のリズムも合っていたし、気を使わず、暮らしやすかった。毎晩の話し相手がいることでとても楽しかったし、ユキがヤキモチを焼いたくらいである。

 だから私たちは、よくユキのうちで三人で飲んだ。楽しかったなァ。

 そんなわけで、三年目の秋は、のらとの二人暮らしにより、充実して過ぎてゆくのである。

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