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2017年6月23日 (金)

百二 始業

 ブリュッセルに戻ってきて四日後の、十月二日。コンセルヴァトワールで、セレモニーが開かれた。こんなの、毎年あったっけ?忘れたが、この年に初めて、私はこのセレモニーに出席した。いくつもの演奏と、先生方の紹介に、授賞式もあった。はじめは退屈だったが、最後のジャズ演奏や、テアトルの人々のパフォーマンスは最高だった。拍手喝采である。テレビの取材も来ていたようで、なかなかコンセルヴァトワールもやるな。と思った。そう、ブリュッセルではジャズも盛んで、確か毎年夏になると、グランプラスでジャズフェスティバルが開かれていたと思う。

 四年目に入ると、たくさんの後輩たちも入ってきて、友人関係は広がった。私とユキは相変わらず仲は良かったが、お互いに別々の友人も増えてくる。

 まだ全然フランス語がわからない後輩のために、レッスンでの通訳も任されたりした。ところがこの通訳というものは、言葉がわかればできるというものじゃない、ということを思い知らされる。何故なら、私たちはフランス語をフランス語として理解しているため、それを日本語に変換する、ということが、咄嗟にできないのである。ええと、ホラ、あれだよ、あれ。あれだってば!…なんてことになっちゃって、全然役に立たなかった。通訳者って、すごいのである。

 和声の授業は上級の、スーペリウールまで進んだ。今年からは、メルクス先生のレッスンも一時間もらえるようになる。課題がはかどって早く終わった日にはお喋りに花が咲き、先生がエリザベートコンクールにも出場されていたこと、私が四年目に弾くことになる、バーバーのソナタも先生の十八番だと言うことを知り、嬉しくなった。校舎の一階で無料楽譜コーナーが設置された日には、先生と一緒に楽譜を漁った。ラフマニノフのエチュードの楽譜なんかをゲットして、喜んで帰ってきたのを覚えている。

 一年間、和声を違う先生に教わり、ちっとも理解できなかったと言う後輩のトッコにメルクス先生を紹介してやり、彼女は大変喜んでいた。私は彼に最初から教わることができて、本当にラッキーだった。スーペリウールは難しかったけれど、先生と一緒ならできそうな気がした。今、メルちゃんはどうしているのだろう。懐かしい。

 先生といえば、フランス語を教わっていたマダム・バージバンは、その年、五十を過ぎてから再婚した。彼女は幸せ一杯で、散々、彼との馴れ初めを話してくれた。ヨーロピアンたちの熟年離婚、再婚などよくあることで、それも大恋愛が多いものだから、う〜む、上には上がいるな、と思ったものである。後々、私の大家さんたちも離婚することになり、彼らはお互い、新しい伴侶と暮らしている。理由は、「僕たちの間はもう色あせた」からである。

 子育てにおいても、子ども中心の日本とは全く違い、あくまでも夫婦がまずあって、子どもは子どもとして、例えばデートにも置いていかれたりする。小さなエヴァはよく、「今日はパパとママは映画に行くからお留守番なのよ」と言ったり、「もう子どもは寝る時間だから」と言いながら、ウインクして見せた。この考え方は私の子育てにおいて、大きく影響を及ぼしている。

 話がずれちゃったけど、私が大家さん一家とずいぶん仲良しになったのも、この四年目であった。私は彼らにも支えられながら、思う存分ピアノの練習に励んでいた。

 そして私は、四年目のレパートリーを、今までの数倍速でずいぶんと早く仕上げられるようになっていたのである。

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