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2017年6月12日 (月)

九十 和声中級ソプラノ試験

 六月七日。またもや日曜日に、和声のソプラノ課題、中級の試験が行われた。

 六時に起きて、お弁当にミートボールを作った。眠い。私はヨーロッパでの生活はほぼ、夜型で、毎日昼近くに起きだしていたので(もったいない。)この時間帯がいかに眠かったかお分かりになると思う。今じゃあ、早起きの夫と娘のおかげで、毎日超〜規則正しい生活を送っているけど、学校でのレッスンがある日以外は、本当にフリーな生活をしていたもんである。

 四日前くらいに起きた、ドイツの新幹線の壮絶な事故のことを考えながら、私はコンセルヴァトワールに向かった。(覚えている方も多いかと思う。あれは本当に、衝撃的であった。)

 試験は八時開始。課題を見たら、はじめは複雑そうに見えたけれど、やってみたらそうでもなかった。あまり好きなタイプではなかったし、バス課題の日よりも疲れていたが、四時までねばって、ほぼ自分では完璧に仕上げたつもりで、提出してきた。さあ、何点とれるかな。と思う。

 家に帰ると、電話が鳴りっぱなしだった。母からも電話があった。聞くと、おばあちゃんがもういよいよ、だめだと言う。私は悲しかった。祖母はその後、夏の終わりに亡くなることになるのだが、思えば私の試験が終わるまで待ってくれたのだ。亡くなるその時、夢枕に立ってくれたし、私のことはずっと心配してくれていたのだと思う。母は、私が集中して試験に臨めないと思い、いつも祖母の容体を告げるのは、試験が終わってからにしてくれた。私にとっては、幼い頃から一緒に暮らした、第二の母だ。どうしているか、私もいつも、気にかけていた。

 私は、短かった髪がだいぶ伸び、なるべく美容院へは行かないですむ髪型にしてはいたものの、二十六歳、今、一番女性として華やかな時期を迎えていた。お世辞かもしれないが、久しぶりに会う人には「キレイになったわね〜」と言われたし、その昔、ガリガリで、ベリーショートで真っ黒に日焼けをし、ショットバーの皆んなから「蝉とり少年」などと呼ばれていた頃から比べると、確実に女性らしくなっていた。そんな私を、父は本当に心配し始め、なんとかして今年の夏が終わったら日本に連れ戻そうと、躍起になっていた。母は相変わらず、のんきなものである。

 ちなみに、ベルギーの美容院は最悪である。日本人の髪は多くて、コシがあって、切りにくいのよ、などと文句を言われ(私は多くもないし、細くて癖っ毛だ。)その腕前はかなりザツである。思いっきり、「段が五段ばかり、入ってます。」って髪型になってしまう。コケシか何かのようである。一度、お金を節約するために、「ブローノーマルと、少し安いブローナチュラル、どちらがよいか」と訊かれた時に、じゃあ、ナチュラルで。と応えたら、ザッとカットされた後、髪の毛ガーッと乾かされたまま、ハイ、終了。となって、何がナチュラルだ!これじゃ、ただボサボサに乾かしただけじゃないか、と腹を立てたものである。まあいいとして、私は必ず、歯医者と美容院だけは、一時帰国の時にとっておいた。

 余談が多くなったけれど、とにかく無事、和声の試験は全て終了した。

 あとは四日後の得点発表である。私はドキドキしながら、結果を待った。

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