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2017年6月21日 (水)

百 よっちゃん一時帰国

 帰って来たよっちゃんはまず、やっとこさ、歯医者へ行くことができた。

 彼はブリュッセルでずっと、歯痛に苦しんでいた。普段元気な人がたまに具合が悪くなると、それはそれは大げさな程痛がるので、ちょっと可笑しかったが、可哀想であった。向こうで何軒か紹介された歯医者へ行ってみたが、どこへ行っても「セ・パ・グラーブ(問題ない)」と言われて、埒があかなかったのである。日本の歯医者へ行ったら一発で、「毎日通え」と言われていた。向こうの歯医者と美容院だけは信頼できない。そうハッキリと確信した夏であった。今はどうだかわかんないけど。

 私と彼は下北沢あたりをブラブラしたり、日本を楽しもうとしてショッピングしたりしたが、どうもなかなか二人してよく、馴染めなかった。何故だろう。ブリュッセルではあんなに仲良く息も合うのに、日本で会うと、何だか巨大な街に飲み込まれるかのような感覚で、違和感が拭えなかった。こっちに帰ってきてしまったら、私たちはうまくいかないのかな。と、ふと思ったりもした。暑さにバテたせいだろうか。でもこのカンはその後、結局当たってしまうことになる。その環境と二人の相性、というものはあるのだ。確実に。私たちは結果的に、日本ではうまくやって行くことができなかった。決して仲が悪くなったわけではなかったのに。

 よっちゃんは不意に買い物途中、指輪を買ってあげるよ、と言い出した。指輪?急にどうしたんだろう。そして彼は、もし、オレたちがうまく行かなくなったら、オステンドの海にでも投げて、捨ててくれ!と言う。(オステンドとは、ベルギーにある海沿いの街である。冬のオステンド海岸は本当に寂しかった。)私は思わず笑ったが、そういう寅さん風な物言いをするよっちゃんが好きであった。私はその指輪を、彼の運の強さを込めて大事にすることにした。

 そしてはるばる、うちに挨拶にも来た。父も一応、ちゃんと顔を合わせてくれて、ホッとする。私の方も、彼の実家に遊びに行った。お母様は近所の仲良しおばちゃんを連れて来て、非常に緊張した。後から絶対に色々言われているに決まっている。やだなあ、と思いつつ、その場は終了。後日お兄ちゃん夫婦の家にも誘われ、家族大集合でバーベキューをした。私は歓迎され、少しずつみんなと仲良くなっていった。

 よっちゃんは一週間と少しすると、またブリュッセルへ帰って行った。帰るとほどなく、寂しいブリュッセルに耐えきれなくなったのか、カオル早く帰って来いコールがかかってくる。わかるわかる、その気持ち。九月のブリュッセルは日に日に寒くなってきて、本当に寂しいのである。

 私はあと残り二週間ほどの日本を落ち着いて過ごした。おばあちゃんの遺骨と共に教会へ行ったり、実家の膨大な写真を整理したり。母は嬉しそうで、妹は毎日予備校通いで忙しくしていた。
 それから幼馴染みと会ったり、仙台の彼氏のライヴを妹と一緒に観に行ったり、東北の彼に連絡を入れることも忘れなかった。東北の彼は、新しい彼女(彼氏?)を作っていたのだが、身内の死により帰国した私の電話に、きちんと応対してくれた。私は何だか、彼だけが幸せに着実な人生を歩んでいるように思えて、理不尽な怒りがこみ上げてきたが、これは私のひがみなので蓋をすることにした。

 そして私は九月下旬、四年目のブリュッセルに向けて出発をする。

 ブリュッセルへ再び向かうことは、家族と離れて寂しい半面、とてもワクワクしていた。

 四年目。私にとって、これで最後の留学生活となる年である。四年間の中で最も充実した、幸せな環境の中で勉強に励める年となった。少なくとも、父に呼び戻されて見合いをすることになる日までは。

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