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2017年6月19日 (月)

九十八 おばあちゃんの死

 八月三十日。おばあちゃんはその日、私の夢枕に立った。

 いつものように、朝っぱらから父の「帰れコール」で目が覚めて、うるさいなあまったくもう。と思い、またウトウトとした時に現れたのである。その時私は何か他の騒々しい夢を見ていたのに、突然その夢は消え、祖母は真っ白な割烹着のような服を着て、五十代くらいの頃に若返り、たくさんの白い服を着た知らない人たちと一緒に、それはそれは嬉しそうな顔をして、私の方をニコニコと見ていた。若い頃の祖母など知らないのに、私には祖母だとハッキリわかった。そして、また電話の音で目が覚める。

 「落ち着いて聞いて。おばあちゃんが、今亡くなったのよ。」

 私はハッとして、まさに今、おばあちゃんがお別れの挨拶に来てくれたことを母に告げる。それから大変だった。バタバタと電話をかけ、よっちゃんに頼んで急遽、現地の旅行会社(日本人経営)に連絡してチケットを探してもらい、パリ経由のANAがすぐに取れたので、飛行機に飛び乗った。成田到着は次の日の十五時だった。そこから直接JRで茨城まで向かう。

 おばあちゃんの通夜には間に合った。きっと祖母は、間に合うように手筈を整えてくれたのだと思う。コンクールには残念ながら出られなくなってしまったけれど、試験は絶対に受けておきたかった。祖母はそれを察してくれたのかもしれない。危篤を繰り返しながら、何とか持ちこたえてくれていた。

 通夜はカトリック式で、厳かに行われた。祖母は敬虔なカトリック信者だったので、賛美歌を歌い、神に召されて天国に昇るであろうことを皆で祈った。祖母は長い闘病生活から解放されて、喜んでいたに違いない。夢に出てきたおばあちゃんは、ものすごく生き生きとした顔だったもの。きっと天国へ行けて、嬉しくて仕方がないんだ。よかったね、おばあちゃん。聞くところによると、母の方にも、昨日キラキラとした光が現れて不思議な思いをしたと言う。これは本当かどうか怪しいけど、とにかく、八十五才でその生涯を閉じた祖母は、八十を過ぎて病院に入るまではとても賢く、しっかりしていて、家族皆で尊敬していた才女であった。

 告別式は私にとって重たいものだった。聖書とお花を入れ、棺が閉じられた時には、逝ってしまったんだなという、諦めに似た、複雑な想いだった。祖母はもう年だったので、あまり大げさに泣くのもな、と思い、我慢していたけれど、まだ若い妹ユリコはショックが隠せないようで、接待などとうていできない様子だった。母は、疲れ切った顔で、それでも後悔のない顔色を浮かべていた。最期は兄嫁たちに喪主を任せていたが、私は、一番介護に大変だったのは母だったことを知っている。

 全て終わって茨城から戻って来たのは夜七時。私は時差ぼけも手伝って、ドッと疲れが出てしまい、幼馴染みたちに連絡をしてから、すぐに眠った。

 そういう具合で、私の予期せずとした帰国は、新学期が始まるまでの九月一杯となった。本当のところは、九月上旬にはイタリアのコンクールを受けて、その後に日本に帰国したら、母校の学祭でピアノを弾く予定だったと思う。私はだからこの年はパリのエミコに役目を交代してもらい、彼女が私の代わりにピアノを弾き、エミコはその時、大学三年だった私の夫に初めて会っている。

 それからはベルギーの友人や先生方への連絡、コンクール先のキャンセルなど、バタバタとした日が続いた。そしてよっちゃんの方も、少し遅れて一時帰国して来た。この秋は、おばあちゃんの死をきっかけに、私は彼の家族にも挨拶することになり、彼との絆が深まってくる年となるのである。

 そして徐々にまわりは勝手に、結婚という二文字を気にかけて動き出していた。

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