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2017年6月 7日 (水)

八十三 春になるまで

 三年目の冬は、色々なことを悩みながらも、ユキたちと集まっちゃあ、仲良く肉じゃがだの、シチューだのを作り、愚痴を言いながら笑い飛ばして過ごしていた。

 そして私たちは共に国際コンクールを探しあぐねていた。良さそうなコンクールのパンフレットを見つけては、年齢制限二十五才以下にひっかかって舌打ちする私。隣にいたユキ(まだ、夏が来るまでは二十五)がすかさず私の手からパンフをひったくって、「いっただき〜!」なんて言って、笑っていた。受けたいと思っていたスペインのコンクールは、日程的に、コンセルヴァトワールの試験シーズンから考えてかなり厳しかったのだが、急遽、九月に延期されたりして(ほんと、いいかげんである)ホッと胸をなで下ろしたりした。

 頼んでいた録音が、出来上がったりもした。恐る恐る聴いてみたが、なかなか良く録れていた。少しピッチが高く入っていたが、まあまあ、曲として形になっている。悪くないかもしれない。嬉しくなって、私は実家や、日本にいる友人たちにダビングをして送った。だけどよっちゃんだけは、もっとパーフェクトな出来を狙った方がいいから、録り直せ!と言ってきた。いやいや、そんな簡単なもんではない。こういうところで、音楽家ではない彼との食い違いはよく起きた。いちいち討論となって、お互いに面倒である。まあ、音楽家同士ならそれなりに違ったケンカも起こるんだろうけどね。でも私にはやっぱり、同じケンカをするなら、音楽家同士のケンカの方が良かったんだろうと思う。

 和声の授業でも、ずいぶん綺麗に曲を作れるようになってきていた。ピアノレッスンの方も、年が変わり、いよいよ先生方の目が厳しくなって、私はレッスンに行くたび、緊張に胸をドキドキさせていた。まだストレスはさほどなかったが、東北の彼氏がヨリを戻そうと言ってくる夢なんかを見ていたりしたから、そろそろプレッシャーもかかってきていたのかもしれない。

 そしてお金も足りなくなってきていた。父が送金してくれた分と、私の稼ぎを合わせて、だいたい夏までの間は足りるように計算していたはずなのだが、生徒たちが帰国して人数が減ってきたりして、予想外の展開になっていた。

 一方で、運の強いよっちゃんは、以前から転職したかった現地の会社からお声がかかったりして、順風満帆だった。私たちは、今後どうしたらいいか、何度も何度も話し合い、来年も一緒に残って暮らしながらやって行こうか、相談しあっていた。

 私の恋愛はすっかり落ち着いていたところだったので、代わりにまわりの友人たちの相談に乗ったりしていた。全く、自分のことはわからないが、人のことはよく見えるものである。ユキにしたって、私にはああだこうだと偉そうなことを言ってくれたが、自分のことになるとよく、七転八倒して大騒ぎしていた。そんな愉快な友人たちに囲まれて、静かな冬は過ぎて行った。

 三月に入ると、少しずつ気候も良くなり、私はパリのレッスンにも通い出す。

 妹は浪人が決まり、春の訪れと共に、状況はゆっくりと変化してゆくのであった。

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