« 八十八 スランプ | トップページ | 九十 和声中級ソプラノ試験 »

2017年6月11日 (日)

八十九 ツィメルマンのコンサート

 六月二日。この日はツィメルマンのコンサートだった。確か、一度アニュレ(キャンセル)で演奏会が潰れていたから、私はこの日を楽しみにしていた。ヨーロッパにいる利点は、こうした大物たちの演奏会を頻繁に、しかも安い学生チケットで聴けることである。日中は和声の授業に出かけ、メルクス先生に、五日後の最後の試験を頑張って来い!と励まされた。本当に、いい先生であった。

 演奏会場に着くと、コルニル先生も来ていて、学生たちが、彼女の演奏会の宣伝をしていた。だから会場は、もしかしたらコンセルヴァトワールだったかもしれない。よくは覚えていないのだが、ツィメルマンのその夜のプログラムは、ベートーヴェンの悲愴ソナタ、ワルトシュタイン、ショパンのバラード第三番、ショパンのソナタ第三番であった。

 私はこの時、彼の生演奏を初めて聴いたと思うが、その素晴らしい演奏に感動してしまった。一様にして言えることであるが、ライヴというものはやっぱり違う。たとえ、CDで聴く限りではあまり好きでないピアニストだったとしても、生演奏を聴くと、その一流ぶりが伝わってくるのである。ツィメルマンは、特に感情楽章が素晴らしかった。ゆっくりと、音色豊かに、情緒たっぷりに歌わせる。もう、ステキ!の一言である。ベートーヴェンが大好きになってしまった。私もあんな風に弾いてみたい。音楽って素晴らしい。そして、バラードなんてもう、前座として弾き飛ばされてしまった。私はあんなに苦労して練習しているのに。その歌い方もとても参考になったし、そうか、そういうことか、と納得しきりであった。レセプションでは学生同士が盛り上がり、口々に感想を言い合っていた。

 次の日、盛り上がった我々は、仲間同士で試験のレペティション(リハーサル)をやろうと、南駅近くの楽器店ホールを予約しに走った。メンバーも速攻で決まる。

 そして翌々日、コルニル先生のレッスンがあり、恐る恐るバラードをみてもらった。始めだけ聴いてもらうつもりだったが、結局最後まで弾かされ、弾き終えた後、先生はキラキラとした目で
「beaucoup beaucoup mieux maintenant!! beaucoup change toi!! tu a ecute Zimerman?(とても良くなったぞ!ずいぶん変わったわねカオル。ツィメルマンを聴いたのか?)」
と言われる。

 私は嬉しくて、天にも昇る心地だった。やっとだ…。やっと、少しわかったような気がする。そうなんだ、音色なんだ。もっと深く、もっと色を作らなきゃ。そして、音楽を大きく。

 余談だけど、ショパン、ロマン派時代の「バラード」とは、今で言うゆったり調の切ない系音楽ではなくて、「物語詩」という意味合いを持つ。ソナタなどの形式にとらわれず、自由に作曲された、ロマン派独特な作品である。
 ショパンのエチュードも、「どうしてカオルは弾けないのかわかるか?速すぎるからだ。trop ff(強すぎる)からだ。もっと、カルム(静か)に、音楽的に。」と指導され、アシスタントに変えさせられそうになったもう一つのエチュードの方にするかどうか、お前の好きにしなさい、と言われて帰ってきた。

 こうなったら、意地でも変えたくない。このまま、失敗してもいいから、挑戦してきたショパンのエチュードで行こう。

 何か一つのことを頑張っていると、何度も何度も壁にぶつかるが、乗り越えた時はとても嬉しい。これは、自分の決めた道を突き進んだ人にしかわからない気持ちだ。私はいつも、オリンピックのフィギュアスケートと、ピアノを重ね合わせる。何百回、何千回と練習を重ねても、本番は一回だけなのだ。あんなに練習したのに決まらなかったスピン、どれだけ悔しいだろう。決して消しゴムでは消せない本番。舞台は水ものである。そこまで持っていくための、精神力。そして見ている観客は、一緒に感動したいがために、好き勝手なことを言う。だが本番とは、やってみた人にしか、わからない。

 苦しい気持ちを抱え、残り一ヶ月を切った六月七日。お次は和声のソプラノ課題の試験がやって来るのである。

 ああ、しんどい。書いていても、しんどいこと、この上ない。ほんっと。

« 八十八 スランプ | トップページ | 九十 和声中級ソプラノ試験 »

留学生活」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/605244/65361572

この記事へのトラックバック一覧です: 八十九 ツィメルマンのコンサート:

« 八十八 スランプ | トップページ | 九十 和声中級ソプラノ試験 »

フォト
無料ブログはココログ