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2017年6月29日 (木)

百八 新年の私

 九十九年の元旦の朝は、お節もどきを作って、よっちゃんやトッコたちと一緒にお祝いをした。黒豆や数の子、きんとん、豚の煮物、お雑煮。ワインを開けて、正月のご馳走を平らげた。よしよし、海外のわりには、日本らしいものが勢ぞろいできて、私たちは満足だった。

 翌日はロンドンへ、ミュージカル「Cats」を観に行く。イギリスは、同じ島国のためか、日本の気候と似ている。風の感じが同じである。なんと表現したらよいか、うまく言葉が見つからないが、ロンドンに行くたびに、大陸とはまた違うなあ、ベルギーはやっぱり大陸なんだなあ、と感じていた。

 さて、私たちの席は、着いてみてビックリ、なんと最前列のド真ん中であった。よっちゃんの強運のせいだったかどうかは、よく覚えていない。彼は本当に幸運の持ち主で、よく、くじなんかも当てていた。一番前の席では始終、ダンサーたちの細かい表情や表現まで、その素晴らしい演技が手に取るように伝わり、私は心の底から感動した。

 私は舞台が好きだった。中学の時は演劇部で、夢中になって演技をしていた。オマエは将来有望だから、今度オレが劇団の舞台を観に連れてってやるぞ、と言ってくれた先生もいた。音大進学の時に、実は最後まで迷っていたんだけど、結局、自分を表現するための手段が違うだけで、舞台好きは基本的に変わっていないと思う。だからこの年、私は徐々に、日本に帰って舞台をやる。ということに、意思が固まりつつあった。

 ロンドンから戻り、一月も下旬に差し掛かった時、大使館のマツザキさんが電話をくれた。私にも、オファーがかかったのである。日本に帰ったら、ボクがマネジメントをするから、帰国リサイタルをやらないか。と言ってもらった。嬉しかった。自分なんて、たぶん気に入ってもらえていないだろうし、声はかからないだろうな。と考えていたからである。これが、私の帰国の決め手の一つになった。よし、この夏で留学生活を終えることになるなら、日本での目標は決まった。帰国リサイタルをやろう。それからのことは、それから考えればいい。そんな風に思ったかもしれない。

 私は、いつもそうだった。その時の恋が順調で、もしそのままその時の風にうまく乗ることができたなら、破局には至らなかったと思うのに、いつもいつも、最後の最後で自分の道へと走って行ってしまう。それは良い選択であり、それが自分の人生を歩むということだと思うけれど、少し寂しい気もする。当時の日記にはそう書かれていた。

 たぶん、漠然とだけれど、日本に帰ったらよっちゃんとはうまくいかなくなる気がしていたのだろう。彼が一緒に帰国するかもわからなかったし、それに何よりも、私のために、彼の人生を棒に振ることはして欲しくなかった。彼はこの年、ベルギーでの永久労働ビザがもらえているし、(これを取得できる人は少ない。彼は本当に、ラッキーな運勢なのである。)だから私のために自分の人生を決めて欲しくなかった。だけどまあ、結果的に言うと、彼は世界のどこでだって百二十パーセント楽しめる人物なので、私が心配することなどなかったのだけれど。彼は今でも、飄々と独身貴族で人生を謳歌しているはずである。

 こうしてこの年に入って、私の気持ちは少しずつ、日本での生活に目が向いて行った。けれど同時に、まだまだブリュッセルでの勉強も頑張らなければならないな、と思っていた。

 たくさんの、優秀な仲間たちに刺激を受けながら、その年は過ぎてゆくのである。

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