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2017年6月27日 (火)

百六 冬が来るまで

 その年のブリュッセルの秋も、日に日に寒さを増してゆき、冬の女王はもうすぐそこまでやって来ていた頃、私の住む半地下のショファージュ(ストーブ)が壊れた。

 以前から調子が悪くて、気が付くと火が消えていたりしたのだが、だんだんその回数が増えてきていた。その度に大家のオリビエを呼んで直してもらっていたのだが、もうこれはいよいよ危ないということになり、買い替えるか。との話が出た。私はすかさず、
「あの、本物の火がゆらゆらとしているように見えるショファージュがいい!」
 とおねだりしてみた。

 オリビエは笑って、ああ、あれか!あれが好きなのかカオル?と言い、そのタイプはちょっと高いので、ここはひとつ、モワティエ・モワティエ(半分半分)で買わないか?ともちかけられる。私は承諾し、ウキウキ気分で街に出ては、ショファージュを探したりして楽しんでいた。

 オリビエは早々に中古のお手頃を見つけてきてくれて、壊れたでっかいショファージュを息子のセルジュと一緒に運び出し、豪快に壁を壊して、新しいものを取り付ける工事をやってくれた。オリビエは精神科医だったが、大工仕事も何でも自分でやる人だった。長年ブリュッセルに住んでいる日本人に話すと、いい大家だね〜、ベルギー人でそこまでしてくれる人って、なかなかいないよ!と感心されたので、嬉しかった。私は相当気に入ってもらえていたんだと思う。

 その日の夜は一緒に「ワリビー」という遊園地もどきのプールに出かけ、エヴァとよっちゃんは怖いものなしで、ガンガンに飛込み台から飛び込んだり、滑り台を楽しんだりしていた。ここのプールはまたすごくて、飛込み台近くの深さなんかは四メートルくらいもあるんだけど、監視員なんていないから、水底で人が死んでいても気付かないんじゃないかと心配になるほどだった。だいたい、ワリビーのジェットコースターは一度、回転真っ逆さまの途中で故障のため止まったりして、大騒ぎになったこともあった。人が何時間も吊るされっぱなしになったのである。ヨーロッパ、恐ろしや。こういうことは向こうではしょっちゅうあり、遊ぶ者の自己責任とされる、施設の放任ぶりには信頼ならないものがあった。

 大家さん一家とはこの年に本当に仲良しになって、エヴァとセルジュはよく私の部屋へ遊びに来ては、ママに「もう夜遅い!」と叱られて戻って行った。ちなみにエヴァは猫のプーすけの天敵で、遊びに来るたびに、「プーは死んだか?」と訊いていた。エヴァは大変なやんちゃ娘だったので、プーが警戒して、一度彼女をひっかいたのである。

 彼らとは、プールだ、ボーリングだと、しばしば一緒に出かけた。そしてオリビエは私が弾いていたバッハのパルティータが気に入り、ショファージュの取り付けで壊した壁を塗りに来てくれた時に、「いい曲だ。コピーしたいけど、難しいか?」と訊くので、楽譜をプレゼントしてあげた。彼は喜んで、毎日練習を重ねた結果、最後のジーグだけを完璧に弾きこなすことに成功した。いつも上から聞こえてくるので、何度かレッスンをしてあげたように思う。

 私はこの年、バッハが大好きになった。日本の音大時代にはバッハの平均律をほとんど全巻さらってはいたが、その良さは半分もわかっていなかったと思う。

「ずっとバッハはわからなかったが、今、やっと理解できるようになってきて、ヨーロッパってやっぱりすごく音楽と身近なんだな。」

 と日記には書いてある。

 私が好きになったのは、バッハだけではなかった。モーツァルトや、ベートーヴェン、意外とこの四年間で歩み寄れたのはロマン派よりも古典の方であった。

 好みが近現代に偏っていた私としては、まんべんなく勉強させられたコンセルヴァトワールのシステムは、本当にためになったと思う。当時はそれだけに悩んだりもしたが、結果的に大正解だった。しかし不思議なことに、とうとう最後まで、あの舞台でロマン派の大曲を弾かされることはなかった。それが、唯一残念なところ。ぜひともリストやショパンを弾いておきたかった。だから今、私は自分から、その辺りを好んで弾いているのかもしれない。面白いものである。

 とにかくも、四年目の秋はそのようにして過ぎ、十二月になると友人のしづちゃんは帰国をして、大使館のマツザキさんも、二月に帰国という知らせを受けた。

 彼らの帰国は私にとって寂しかったけれど、日本での活動にともしびを与えてくれた。今まで漠然としていたビジョンが少し具体的な形となり、私には少しずつ、帰国する目標が出てきたのである。

 マツザキさんは、日本に帰ったら音楽家をサポートする、マネジメント的な仕事を立ち上げると言っていた。若い音楽家を応援し、演奏会を企画したりするビジネスらしい。私は嬉しく思った。そして彼に誘われたら、ぜひやらせてもらおうと思った。

 そして私は声をかけられるのを楽しみに、気持ちも前向きに勉強に励み出すのである。

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