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2017年7月10日 (月)

百十九 ブリュッセル最後の夏

 試験が終わってからの夏は、コンクールのための練習や、イタリアの会場へ行くまでの手配、それからその合間に、帰国するための荷造りをしながら忙しく過ぎて行った。

 会場は何と言っても、いい加減なイタリアだ。ミラノから汽車で乗り継いだ小さな町なので、時刻通りに行かれるかどうか、慎重に検討しなければならなかった。ブリュッセルから事前に調べようと思って駅に行って尋ねても、ここじゃあ時刻表はわからないと言われ、他の窓口へ行ってみたらアッサリ調べられたりと、非常にいい加減である。海外では、一度ダメと言われても必ず食い下がってみることだ。聞き分けのいい日本人はだいたい諦めてしまうが、そんなことをやっていたらあちらでは暮らせない。なんなら、母国語でケンカを売ってもいい。昨日と今日とで言っていることも違ったりするので、要注意である。

 七月は平和に何事もなく過ぎた。ノストラダムスの大予言に、七の月に世界が滅亡するなんて書いてあったから小さい頃からビクビクしてたけど、な〜んもなかった。私たちは最後に、ブリュッセルの王宮で行われたパレードを見たり、宮殿の中に入れてもらったりした。もっと質素なのかと思いきや、さすがは王宮。シャンデリアの舞踏会用大広間などは見事で、素晴らしく美しかった。

 八月になると、よっちゃんの友人である、お菓子づくりの職人さんが開いたホームパーティーに招待される。よっちゃんは顔が広かった。そして友人のリサさんたちも一緒だった。素敵なアパルトマンの八階で、風通しも見晴らしも抜群な豪邸。いい夜だった。絶対住むぞ、こんな家!と、日記には書いてある。

 それから忘れてはならない、二十世紀最後の皆既日食もあった。

 八月十一日正午、もともと暗いブリュッセルが、真っ暗になった。パリのエミコが興奮して電話をかけてくる。これは、三時間くらい続いた日食で、皆既最大時間は、ルーマニアの二分二十三秒であった。ユキはちょうどイスラエルへ行っていたと思う。

 日食は、カナダの東の海で、日の出と共に始まり、インドを通過して、日没と共にベンガル湾で終わった。大昔の人が見たらきっと、何かのたたりだと思うに違いない。ふと、ノストラダムスの予言ってコレだったんじゃないの?と思った私。非常に感動して日本に電話をしたのだが、母に三分で切られたと、怒っている。本当に美しい日食だった。そして八月も半ばを過ぎると、短い夏も終わり、私の荷造りも終わっている。

 日通の船便は日本到着まで二ヶ月ほどかかるので、私はもう必要のなさそうなものは全て送ってしまうことにした。部屋はすっかりガランと寂しくなった。全てが終わりの儀式へと向かってゆく。学校にも届けを出し、コルニル先生にも最後のレッスンを受けてきている。よっちゃんは仕事納めで、送別会を開いてもらった。ちょうど、リサさんたちも一緒のお別れ会となったので、賑やかな会となった。

 私は帰国後のリサイタルも、二〇〇〇年の春と決め、ブリュッセルを去る寂しさの中にも、未来へと向かって動き出していた。

 そうだ。自分は今、四年間の下積みの勉強を終えて、自由の中に飛び出さねばならないのだ。コンクールに向けて、自信を持つのだ。

 七、八月のブリュッセル最後の夏は、あっという間に過ぎた。

 そして九月。ヴィオッティ、バルセシア国際コンクールの日は近づいて来るのである。
 

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