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2017年7月 6日 (木)

百十五 エリザベートコンクール一次

 ヨーロッパでは本当にあちこちで、国際音楽コンクールが開かれている。

 エリザベート王妃国際音楽コンクールは、その中でも、ショパン国際ピアノコンクール、チャイコフスキー国際コンクールと並んで、世界三大音楽コンクールの一つとされる、非常に権威のあるコンクールである。私がレッスン帰りに廊下を歩いていると、テレビ局の取材が来ていたりして、なんだか賑やかなことになっていた。ああ本当にこの学校が舞台となるんだな、すごいなあ。なんて感じていた。

 そんな中、忘れてはならないのが、当時のユーゴスラビア問題である。

 ベオグラードにはこの時期、友人のエミコがパリから国際コンクールを受けに行っていたのだが、ちょうどNATOによる空爆が始まる直前であり、彼女は日本大使館から引き上げ命令を受けて、コンクールの途中でパリに戻って来ている。私は彼女を非常に心配していた。新聞の国際欄にはユーゴ問題について書かれていて、毎日のように目を通していた。日本の両親に電話をしても、お見合いの君と話していても、そんなことはどこ吹く風。この緊迫感の違いは何だろう、と感じた。ユーゴの記事、読んでないの?え、読んでない?!なんて、私は飽きれつつ、偉そうに叱り飛ばしたりしていた。

 日本は、遠い。外国の出来事など、海を挟んだ遠い異国の物語である。北海道にいる時でさえ、本州の出来事が遠く感じるから、なおさらであると思う。

 しかしお隣の、大陸続きのベルギーに居る私たちにとっては、いつ隣で空爆が起きてもおかしくないような危機感があった。今でこそ、テロで騒がれていたりするが、欧州ではテロも日常的なものだったため、私は飲みかけの缶ジュースを持っていたためにバスに乗せてもらえなかったりすることが、よくあった。

 ベオグラードでは放送局なども爆破され、罪のない若者たちが、次々に死んでいった。この年、ノストラダムスの予言もあったように、私たちは皆、明日こそついに決定的なことが始まるのではないかと噂をしあっていた。友人のエミコは途中で危機一髪、最後の邦人として帰って来たが、置いてきた異国の友人たちのことを大変心配していた。あの人たちも、無事、空爆が始まる前に逃げられただろうか。そんなことをよく、口にしていた。

 さて、長くなってしまったが、そんな世界情勢の中、エリザベートが開かれたのである。

 私たちは、一次予選に出場する、ミタ君のことを応援しに出かけた。

 コンセルヴァトワールの学生たちは、チケットを買わなくても聴講を許されたので、混んでいない日にはすんなりと入場することができた。素晴らしいシステムである。音楽学生たちは進んで勉強をしに来なさい。というところであろう。学生証を見せればパスなのだが、どさくさに紛れて、よっちゃんも侵入可能なこともけっこうあった。いい加減である。

 そして、いよいよミタ氏の出馬。

 いや〜、勉強になった。今年まで残れて、本当に良かった。とにかく、あの会場の張りつめるような緊張感の中、出場するだけでもう尊敬である。

 前回は四年前だから、ちょうど私がブリュッセルに留学する直前に開かれていて(毎年、ピアノ、声楽、ヴァイオリン、作曲と順に開催されているので、各部門とも、四年ごとにまわってくるのである。)その時は、我らがアキカさんが出場し、一次予選を突破して、セミファイナリストまで残っているので、日本では奈良先生がかなり盛り上がっていたのを覚えている。大変大きなコンクールなので、一次を通過すること自体が難しいのだ。本当に。

 しかし皆、弾く、弾く。同じピアノとは思えないほど、音色も違っていて面白かった。

 私は確か、ウクライナ出身の、クマぞう君が弾いたメフィストワルツが気に入っていたが(勝手に名前をつけた)、ユキたちは、キライ!と言っていたから、音楽とは賛否両論で難しい。コンクールに落ちる人だって、いいところはたくさんあるのだと知った。コンクールとは何だろう、という気持ちになる。

 Mr.ミタは、図体のでかいロシア人たちに比べると、華奢で小柄な日本人というイメージであったけれど、その腕前をガッツリと披露してくれた。一次に通ればいいな。私は、祈るような思いだった。

 翌日には予選通過者の二十四名の発表となり、残念ながら彼はその中には入らなかった。素晴らしい多くの演奏者たちも落とされていた。何が基準になったのか。

 けれど母とはエリザベートの話で盛り上がり、
「良かったわね、聴けて良かったわね。勉強になるでしょう。」
 と、またもや、胸を張って誇らしげに言う母に、私は笑いながら、本当に幸せだと感じていた。

 この後、私は二次予選を聴きに行くのであるが、自分の弾いたことのある舞台で、あのピアノで、このコンクールに聴衆としてでも参加できたことは、四年間残ったうちの意義あることだったと思う。

 話は二次へと続きます。

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