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2017年7月18日 (火)

百二十七 帰国

 一九九九年、十月十七日、日曜日。

 出発の日は珍しく晴れて、そしてとても寒い日となった。

 朝九時半に、私たちはオリビエとエヴァと、それにエヴァの友達のアリアンとで、朝食を共にする。みんなで一曲ずつ、クラビノーバを弾きあったりして、賑やかに過ごした。それから半地下に戻って、最終準備を始める。エヴァもうさぎを連れて遊びに来たりした。

 猫のプーは、異変を感じて縮こまっていた。当時は飛行機に乗せるのに、猫の検疫はなかったので、問題は、長時間の移動にプーが参ってしまわないかということと、彼の体重がオーバーなことだけだった。病院からは睡眠薬のようなものをもらっていたのだが、それを飲ませるかどうかはとても迷った。お昼近くになって、私たちはようやく決断し、一粒口にポンと放り込む。プーはむしゃむしゃと飲み込んでしまい、あっけなくすぐにトロンとし始めた。

 十二時前に、家を出発。オリビエたちと空港へ向かった。最後にドアを閉める時、胸の奥がキュッと痛くなった。エヴァは進んで、プーの入ったカゴを膝に抱え、オリビエは「サヨナラ、ベルジック!(ベルギーのこと)」と言った。

 二十分ほどで空港には着き、エヴァたちとは駐車場でお別れだった。

 私たちは、抱き合ってさよならを言った。私は急に涙が止まらなくなった。さよなら、大好きだった人たち。エヴァも一生懸命、涙をこらえていた。日本に帰ったらもう、毎日一緒に暮らしていたこの人たちとは、長い間、会えなくなる。私はとても悲しかった。想い出が一杯詰まった、四年間のヨーロッパ生活は、おしまいになったのだ。どうして信じられるだろう。と同時に、私は、最後に心に残るのは、ベルギーでの勉強のことではなく、人との繋がりであることを知った。お世話になったコルニル先生たちや、一緒に暮らしていたエヴァたち。愛情。それは、私にとってかけがえのない、大切なものだったのだ。

 いつまでも泣いているわけにはいかないので、私たちはもう一度ハグをして、別れた。そして空港へ着くと、急にプーが正気を失い、半狂乱状態に陥った。私もよっちゃんも、一気に「お別れ」ムードを失い、プーに薬を飲ませたことを後悔する。しかしそれは後からわかったことだが、一時的な発作だったらしく、それからしばらくしてプーはとても静かになった。動物にとっても長距離の移動は大変なストレスである。私たちは心配でたまらなくなり、せっかく、ユキとトッコが見送りに来てくれたのに、ほとんど時間がなく、お茶もできずにゲートでバタバタとお別れ、となってしまった。

 引き上げ時の荷物は、ハンパなかった。その上、デブ猫のプーがいるときている。プーの機内料金は、その体重によって加算されることになっていたので、一体いくら取られるかとハラハラしていたのだが、たまたま係の兄ちゃんが気のいい奴で、カゴごと乗せられた体重計は明らかに八キロ近く指していたのだが、なんと「四キロ」にしてくれた。仰天である。そして私たちは、満席のルフトハンザに乗り込んだ。

 ほとんど定刻通りで飛んだが、フランクフルトに着いてから、またえらいことに、私のバッゲージが外に出るはめになってしまい、乗り継ぎが一時間しかないのに、もう一度、荷物チェックを通らなければならなくなった。ドイツの女の係員は不親切だし、行列の中国人は嫌な奴だったし、もう散々だった。何とか成田行きのチェックインの最終時刻に間に合い、汗だくになりながら、またもや満席の中に乗り込み、ホッと一息。

 その頃にはプーも落ち着いていて、「プー」と呼ぶと、か細い声で、ニャ〜、と鳴いていた。どうやら、薬が効いて、朦朧としているらしい。隣の兄さんがいい人で、プーをこっそり膝抱っこできたりして、本当に助かった。プーは水も飲まず、おしっこもせず、十二時間をひたすら耐えていた。成田到着二時間前くらいでようやく彼は正気に戻り、名前を呼ぶと元気に返事をするようになっていた。

 そんな具合で、私たちはフライト中、猫のことばかり気がかりで、気疲れグッタリであった。とてもじゃないけど、あれこれ想いを巡らせているヒマなどなかったのである。

 無事、成田に到着したその時は、ああ、日本だ。本当に、帰って来たんだ。という嬉しさと、ガッカリした思いが、入り混じっているような感じであった。まだ、夢を見ているようだった。ともかく、私は帰って来たのだ。一時帰国のヴァカンス気分の時とは、全く違う気持ち。

 日本。これから、何が起こるんだろう。私は、どうすればいいんだろう。

 全く一からのスタートを切ることになる自分は、真っさらな白紙を目の前にしたような気分で、未来に向かってたたずんでいた。

 お金もなく、仕事もない。あるのは、自由な時間と、可能性だけである。

 そうだった。帰って来た直後のあの頃は、本当に時間が山のようにあった。生活が軌道に乗り、仕事も忙しくなってからでは、とうていやることのできないことが、何でも好きにできた。懐かしい、貴重なあの時間。

 私は自由と、たくさんの友達に囲まれていた。そして出会い。ベルギーでお別れした分だけの、新しい出会いが待っていた。同時期に留学していたであろう、今現在の音楽仲間たちにも、次々と出会った。あの時、もしかしたらあのパリの街角で、ヨーロッパの石畳みを歩いているあの時に、私たちはすれ違っていたかもしれないと思うと、面白い。

 そして、日本での、ベルギー時代の友人や、先輩方との再会。私は、彼らの活躍に、たくさんの勇気ときっかけをもらった。

 その後訪れる、夫との出会い。リサイタル。そして巡り会う、可愛い生徒たち。

 これから先の話は、この続編として、ぼちぼち書き進めてみたいと思う。ハッキリ言って、留学時代と同じだけの、いや、それ以上のエネルギーを必要とした、日本でのスタートだった。留学から帰って来た者たちならば、皆、同じような思いをしているに違いない、もう一度すごろくの振り出しに戻るような気持ち。

 一九九九年、秋。年が明けて二十八を迎えるのを目前とした、二十七才の私であった。

 
 ピアニストMama♪ 留学白書 〜完〜

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