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2017年8月 4日 (金)

続編十三 二十一世紀の幕開け

 二十一世紀です!二〇〇一年です!おめでとうございます。

 と、十六年後に書いているのは何だか変な気もするけれど、とにかく、輝かしい二十一世紀の幕開けであった。私は、妹のユリコと、恒例の五社神社への初詣に行く。

 ここの神社のおみくじは、恐ろしいくらいに良く当たるのである。だからこの年も、ドキドキしながら本気で引いた。去年は、「恋愛、今の人が最上。迷うな。」であったが、今年はと言うと、「恋愛、うまくいかず。願い事、二つを叶えようとすると悪ろし。」であった。う〜む、恐ろしや、五社神社。果たして私の恋の行方はどうなるのか。

 そして私は、二十九才の誕生日を迎える。三十までのカウントダウンだ。ここだけの話だが、私は三十になる日の三日前、男泣き…いや、女泣きに泣いた。年を取るのが悲しかったのではない。勉強に一心不乱だった二十代の自分に別れを告げ、まだ、仕事も恋愛も未完成なその時、三十の大台に上がってしまうことが、どうにもこうにも不安でたまらなかったのである。

 私はこの冬から、水泳にハマった。自由な時間を利用して、せっせとプールに通う。春からは収入もだいぶ安定してきて、(と言っても、想像を絶する低額だけど。)私は憧れのジムにも通い始めた。

 春がやって来るまでに、いくつかの本番もあった。マツザキさんのプロデュースで、ヴァイオリン、チェロ、ピアノとで組み、茨城と埼玉で、映画音楽のコンサートをやったりした。一緒に組んだ、ヴァイオリニストの男の子がとっても爽やかでカッコ良くて、あ〜こんな人憧れるけど、私みたいなオンナにはとうてい、ムリムリ。なんて、日記には書いてある。彼らとの合わせは楽しかった。雪の日に新宿まで出て行って、リベルタンゴを合わせたり。映画音楽とは言っても、彼らの溢れる音楽性に触れていると、時間があっという間に流れた。茨城にはちょうど友人ののらが越していたので、本番前には一泊世話になった。彼女には可愛い赤ちゃんが生まれており、ああ、私も早くこんな赤ちゃん欲しいな!と思ったのを覚えている。

 仕事の方は、春になって急に軌道に乗り始めた。また地元紙の取材申し込みが入り、大きく記事が載ったので、それを見たレッスン問い合わせの電話が新聞社にたくさん入ったのである。自分で一生懸命に作った生徒募集のチラシなんかよりもよっぽど効果があったので、何だかむなしくもなったが、まあいい。そしてこの時に入った小さな生徒たちは皆、後々までずっと交流が続き、今でも発表会や、合宿などのイベントを手伝ってくれている。そのうちのサヤちゃんは、私たちの結婚式のリングガールをやってくれて、今では立派な幼稚園の先生として働き始めている。時の経つのは、本当に早いもんである。

 この年に、私はショーコちゃんという生徒を初めてコンクールに出した。いきなり、神奈川音楽コンクールなどと、大きいものに出場させてしまったのだけれど、これは生徒共々とてもいい勉強になった。コンクールは、教える側もその特色をよく知っておかないとならないものである。その後、厚木コンクールの存在を知り、地元での挑戦に力を入れるようになっていく。

 かなコン(神奈川音楽コンクール)と言えば、私もその春、シニア部門でチャレンジをしてみている。ちなみにこのコンクールでは、後々親友になるピアニストのマリコが一位をとり、ちょうど私が帰国する直前に、オケと一緒にコンチェルトを弾いているので、私の母は彼女の舞台を聴きに行っている。彼女はその後、ドイツ留学をしているが、当時私は彼女とはまだ友達になっておらず、母親同士がご近所さんということで、仲が良かった。私はブリュッセルで、母から、マリコがベートーヴェンの皇帝を弾いた話を興味深く聞いたのをとてもよく覚えている。

 私がかなコンを受けた時には偶然一緒に、パリに留学していた友人の男の子も受けていたが、私たちは揃って落とされた。五分という短い時間内にいまいち、ピアノの具合がつかめなくて、音を出し切れなかった。これを最後に、私はコンクールに出ることをやめたはずだ。小さい頃も何度か挑戦して、予選を通過程度はしているけれど、結局、私はコンクールという場で成績をおさめられたことはなかった。向いてないな。と、薄々感づいていた頃である。もうやめよう。それよりも聴いている人たちに、喜んでもらえるような舞台を目指そう。そして自分の代わりに生徒たちを育ててあげよう。その後、本当に自分の生徒たちが入賞をするようになった時、私は心の底から嬉しかった。

 妹のユリコと、彼氏のぶんちゃんは、春に一ヶ月の欧州放浪の旅に出た。そして友人のユキからも、コンセルヴァトワールのシステムが変わり、何でも、音楽院から、ユニバーシティになるのだと聞かされる。なんだそれは。多分、外国人排除のために、音楽とは関係のない法学などの一般教養も詰め込まれたらしい。旧システムに在籍していた彼女たちはその後、無事に卒業できたはずだけれど、そうやって欧州のシステムはどんどん変わって行くのであった。もったいない。

 ユキからは同時に、衝撃の報告も受けた。なんとあの恋多き彼女が、結婚することになったと言うのだ。私はびっくりしたと共に、本当か?だとしたら、ずっこけるなよ、ユキ。と願わずにはいられなかった。そして彼女の宣言はその後、真実となる。幸せなことに、いまだに離婚の報告は入っていないので、うまくやっているに違いない。

 そのようにして、状況は着実に進展して行った。私は長らく演奏していたマッカーサーでの演奏を終え、少人数ながら発表会ができるほどにはなった生徒たちのために、秋の開催を思いつき、ピアノ付き珈琲屋で働いているであろう、コヤマ君に一本の電話を入れるのである。

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