« 続編三 仕事探し | トップページ | 続編五 音楽教室に落ちる »

2017年8月 4日 (金)

続編四 高校時代の彼、そして夫たちとの飲み会

 私が帰国した一九九九年から二〇〇〇年にかけては、通信網が目覚ましく進歩している時代であった。インターネット、携帯電話。古いポケベルに代わり、メールが世間に普及し始めていた。携帯は、その軽さとコンパクトさを競い、NTTドコモが圧倒的に支配していた。今ではいわゆるガラケーと呼ばれてしまうやつが、一世を風靡していた時代である。

 私は半年間、携帯を持たなかった。でも、友人たちとはマメに連絡を取り合っていたと思う。女友達はじめ、男友達とも例によって、よく飲みに行ったりした。この時私は、よっちゃんとはもちろん、お見合いの君とも、なんとなく続いて付き合っていた。私は結婚のことよりもまだ、仕事と演奏活動に頭が一杯であったのだが、どちらもまた、性格のいい人たちだったので、別れられなかったのである。まわりはこんな私を見て呆れていたが、私にとっては、多くの女友達と付き合うのと同じような感覚であったように思う。言い訳だけど。そんな中、昔から付き合っていた、高校時代の同級生ともたまに、会って話すようになる。

 彼とは高校二年〜三年くらいの時に少し付き合っていて、その時は私の片思いに近かった。しばらくして私には他の彼氏ができたのだけど、その後もずっと、いい友達として残った。ブリュッセルへ行っている間も、たまに連絡を取り合い、一時帰国の時もよく会っていた仲である。いわゆる、つかず、離れずと言った感じの間柄。

 年末はよく、彼と会って話をした。彼はとても頭の切れる男だったので、よっちゃんにも、お見合いの君にも話せないようなことを相談に乗ってもらったりしていた。同級生というものは、ケンカも多いが心の落ち着くものである。混乱させると申し訳ないので説明すると、留学時代に一度、イギリスから遊びに来てくれた彼ではない。その彼とは高一の時に付き合っていたわけなので、この彼とはまた違う人物である。ちなみに、イギリスからチャリでやって来た彼氏は北京の彼(東北の彼)なので、これも違う人物である。もうなんだかサッパリわかんないと思うけど、まあいいとして。

 年末は、リサイタルでお世話になるマツザキさんともよく会い、打ち合わせをしながら、着々と演奏会の準備を進めていた時期でもあった。そして、ピアノ愛好サークルの部長であり、現在の夫である、コヤマ君たちとも飲んだ。学祭の打ち上げに出席できなかったので、今度こそは約束を果たそうと思っていたのである。

 その時はパリから友人のエミコが一時帰国しており、彼女も誘って飲み会に出ている。その時に夫から、「ミヤっさん、彼氏いないんですかぁ」と、鋭い目でズバリ訊かれたのが印象的であった。彼はそうやっていつでもポーカーフェイスで、ここぞと言うタイミングで話の核心に迫る癖があった。夫を知らない人にイメージを与えてあげるならば、彼はちょっと、イチローとiPS細胞の山中教授を足して二で割った感じの風貌である。

 そしてサークルの学生たちの中には、今も仲良しな後輩たちがたくさんいて、おかげさまで私のまわりは年下ばかりだが、その中でも後輩のなみっちは、いっとう泥酔していて、居酒屋の鍋に信じられないくらい色々な調味料をごたまぜにし、帰り道では駅前の広場にて「雅子様、ご懐妊〜!」と吠えていた。ちょうど、皇室の雅子様が身ごもられた時期ですね。懐かしい。

 十二月は、そのようにして過ぎて行った。クリスマスイヴの日、猫のプーすけは、しばらく住み着いていたよっちゃんの家から、我が家に越して来る。私は、各種イベントの時には彼氏とでなく、一人で過ごすことに決めていた。そして大晦日。私は妹のユリコと近くの五社神社へお参りをし、おみくじを引いたその中身には、

「恋愛…今の人が最上。迷うな。」

 と書いてあった。一体今の人が誰なのか、サッパリわからない、その年の私。

 一九九九年も無事に終わり。ノストラダムスの不吉な予言も当たらなかった。そして気分も一新、新しい年が始まろうとしていた。

« 続編三 仕事探し | トップページ | 続編五 音楽教室に落ちる »

ピアニストMama♪ 続・留学白書」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/605244/65501456

この記事へのトラックバック一覧です: 続編四 高校時代の彼、そして夫たちとの飲み会:

« 続編三 仕事探し | トップページ | 続編五 音楽教室に落ちる »

フォト
無料ブログはココログ