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2017年8月15日 (火)

続編十五 ラローチャの演奏会

 二〇〇一年、六月十日。私は、アリシア・デ・ラローチャの、時の記念コンサートに出かけた。もう、ウキウキだった。

 彼女の演奏会は、大学一年の、まだ何も音楽についてわかっていなかった頃、友人と一緒に聴きに行った以来である。でもその時は確か、ベートーヴェンプログラムであった。そのため師匠てっちゃんに、「彼女のベートーヴェンねぇ…。やっぱりラローチャは、スペインものじゃないとねぇ。」と言われたのを覚えている。けれどその頃の私には、一体どうしてベートーヴェンじゃあダメなのか、演奏を聴いてみてもサッパリわからなかった。それから私はブリュッセルで、スペインもののグラナドスを勉強し、それが十八番であるラローチャの演奏をCDで聴いて、ようやく彼女の素晴らしさがわかり、大ファンになっていたのである。

 彼女の演奏会は、後に夫と一緒に、日本公演さよならコンサートへも行ったが、それが本当に、私が聴けたラローチャの最後の演奏となってしまった。最後の舞台は、彼女らしい、温かいものであったけれど、もう八十を越えてずいぶんお婆ちゃんになっていて、ステージで倒れちゃうんじゃないかとハラハラした。でもパワーは失ってはいたものの、半分あの世に足を突っ込んでる境地に達した演奏はまた素晴らしくて、涙が出た。そして二〇〇一年のコンサートでは、まだいくらか彼女は元気で、若々しい演奏だったと思う。

 私はよっちゃんに、九千円の席を譲ってもらい(席が離れていたのだ)、聴く前からワクワクを隠せずにいた。

 彼女が舞台に現れた時、何て小さい人なんだろう!と驚いた。昔聴いた時は、後ろの方の席だったので、わからなかったのである。身長は、一四四センチくらいしかないと言う。手も、オクターブがやっと届くくらいしかない、小さなピアニストだ。それなのに彼女の演奏は、その容姿まで大きく見せるほど偉大であった。

 ダイナミックな演奏ではない。テクニックで圧倒させるわけでもない。ただただ、ひたすら、音楽を愛した、純朴な演奏。温かい音。多彩な音色。余計なものの何もない、素晴らしい演奏であった。私は聴いていて涙が溢れた。どうしてこんな演奏ができるのだろう。彼女の中に、詩が流れているのだ。私、聴きに来て良かった。よっちゃんありがとう。

 この時のプログラムを今、必死に思い出そうとしているのだが、どうしても思い出せない。でもスペインものを弾いてくれたことは、確かである。やはり、大物の演奏会には、定期的に行かなければダメだ。音楽の真髄に触れて、そこに手を伸ばせば届きそうな気持ち。今、よく夫が「もしも宇宙が滅びても、音楽だけは残って欲しい」と言うけれど、本当にそう思う。私は音楽にたずさわることができて、幸せだった。そして、共に音楽を愛する人と出会えたことも。

 ラローチャの演奏会が過ぎ、七月もまた、音楽会は続く。

 私は珈琲屋で開かれた、コヤマ君たちの演奏会を聴きに行く約束をしていた。

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