恋愛

2017年5月22日 (月)

五十五 私と彼

 「あっ、居たっ!かけなおせー!」

 私は、彼の声を聞くなりそう叫んだ。

 ハイハイ、と言って、社会人の東北の彼は、素直に国際電話をかけなおしてくれる。

 そこで、彼が週末、東北の地でナンパした話などいろいろ聞かされるが、それには一切動じない私である。あくまでも、電話をナゼ君はかけてこないか、という一点に集中する。

 声が聞きたいと思わないのか、君は昔、早く私と一緒に暮したいと言っていたのに忘れたのか、そんなことをぎゃあぎゃあと攻め立てても、

「う〜ん、人って気が変わるもんだよネ〜。」

と、意地悪くかわす。一人でプンプン怒っているのは、いつも私である。でも実は、そんな自分に面白がっているところもなきにしもあらず、であった。

 彼もまた彼で、相当な気分屋だった。機嫌のいい日は「別にいつだって、好きな時に電話かけてくればいいのに」と言ったり、「絶対、カオルの方から電話をかけてくると思ったんだ。だからかけなかったの。」とか言ったりした。だけど疲れて機嫌が悪い日なんかは、一言も喋らないと決めこんだかのような態度を取っていた。腹の立つ。

 でも今、自分が働くようになってみてわかったのは、学生と社会人とのギャップがそうさせていたのだろうと言うことだ。私だって、今ならば彼の気持ちはわかる。要するに、面倒臭いのだ。疲れている時に、オンナといちいち話さなきゃいけないのが。別に相手を嫌いになったわけではない。その証拠に、顔を見てれば、今でも私のことは好きであるとわかる。(この自信。)そしてさらに今、彼は白状していたけれど、実は相当の電話嫌いだったらしい。でもそんなこと言っちゃったら、私たちの通信手段は何もなくなる時代。言えなかったんだろうし、それにたいていの男性は、電話嫌いである。当時若かった私には、わからないんだけど。

 だからってあの時、私はどうしたらよかったのかと問われても、答えは出ない。女性とは、その時の関係が気まずくなって、別れたら終わりだ。しばらく放ったらかして、それこそ何年も冷却期間を置くことなど、できない。そのうちにすっかり冷めてしまう。私のように、昔の彼氏たちと友達に戻れる女性など稀で、たいていの場合は、その関係が終わった時点で一切会うことはない。会っても好きでも何ともないし、つまらないからである。

 男性の場合は、相当こっぴどくフラれた相手でない限り、一度好きになった女性のことは、だいたい、一生好きである。大事に心のどこかにしまっておける。だから久しぶりに会うと、相手を愛おしい気持ちになると思う。私の場合はまた別で、何故、また友達に戻れるかと言うと、それは人間として好きだった相手限定であり、人生の中で一度、同じ時を過ごした者同士なのだから、こんなに気心知れている味方はいない。という理由である。まあ、たまにはいい雰囲気になっちゃったりもするんだけど。それはそれで、分別のあるオトナ同士ということで、いいとして。

 とにかく私たちは、お互いに学生だった頃とは違って、彼が働き出して半年も経つと、だんだんとギャップが出てきていた。考え方は変わってはいないし、お互いに応援している気持ちはずっとあった。けれど、夢を追う学生と、現実を見る社会人。そのパワーを発揮する方向性もずれてきて、二人は徐々に、別々の方向を見て行くことになる。私の帰国がもう少し早くて、社会に出る苦しさを味わうのが同じ時期だったのなら、話はまた違ってきたかもしれない。だけどそうすると、今の夫と出会うこともなかった。タイミングとは面白いものである。ちょっとその時がずれただけでも、人との出会いと別れは変わってくるものなのだ。

 思わず恋愛論を語ると長くなっちゃったけど、何しろ私たちは、決定的に別れるまでの秒読み生活を始めるようになるのである。それは、仲の良いまま、何を喧嘩するともなく。

 私はそれでも、迫り来る試験に向けて頑張っていた。頑張って水泳でもして、今より三キロ太って魅力的になるぞー、なんて、言いながら。(羨ましい!)

 そして、友人ユキと共に開く、五月の大使館コンサートの日はやって来るのである。

2017年5月16日 (火)

四十八 彼氏、二度目のベルギー到来

 東北の彼氏は、日本からの直行便、サベナエアーでやって来た。よっ、社会人は違うねっ。私など学生には、とても高くて買えないチケットである。

 何度目の再会だろう。何回会っても、はじめは彼の、阿部ちゃんさながらの顔の濃さにびっくりさせられる。でもその次に、本当に私の良き理解者だなあと、ホッとする。自分でもまあ、わかりやすい性格だとは思うけど、でもこんなに自由奔放な私を放ったらかしにできる奴も、そうそういない。

 彼は待ってましたとばかりに、ホワイトビールを飲んだ。そして、ベルギーにイギリスからチャリンコでやって来た当時、お世話になった先輩方や、大使館の方々にお呼ばれの歓迎を受けた。私は現在の友人たちに紹介したりもした。そして、ずいぶん上達した私のフランス語をとても嬉しがって、よくここまで喋れるようになったね、偉い偉いと、親のようにしみじみ感心したりした。

 ちょうどその頃、先輩アキカさんは、日本の学校から仕事の話が舞い込み、長い留学生活に幕を閉じて帰国するかどうか、大いに迷っていたところであった。アンリオ先生は、「母国からの扉を自ら閉ざすことはない!」とおっしゃっていたし、彼女もそれをよくわかっていたのだけれど、感情というものはそうもいかない。私だって、悩む。留学生というのは皆、なんだか知らないけれどそのうち向こうの生活が長くなり、だんだんとそこに根付き、三年の壁、五年の壁、そして十年の壁を越してしまったらもう日本には戻れなくなる、と言うジンクスがあるくらいであった。彼女はそんな渦中であったのに、私たちを温かく迎えて下さり、もてなしていただいた。

 そしてブリュッセルだけでは飽き足らない彼は、ロンドンへも遊びに行ったりしていた。その間、私はモーレツにピアノを弾く。レッスンも入った。彼の到来により、おかげさまで、音楽的にはとても良くなってきたけれど、暗譜が浮かれている感じである。気を引き締めねば。

 友人、ユキはそんな私をからかい、ウワサの東北の彼とも面白半分、好奇心半分で、タバコをスパスパと吸いながら会ってくれた。

 後から聞いた話によると、彼の方はユキにさりげなく、私に現地で彼氏はいるのか、聞き出そうとしたらしい。ユキはしらばっくれて、「ご自分で聞いたら〜?」などと言い、「そっちこそどうなのよ?」とするどいツッコミを入れた。彼の方は、「まあ、通り過ぎた女の人は何人かいたけど。惚れた女性は、いませんでした。」と、あっさり認めていたと言う。

 だから、私にいないなんておかしい、それなのに何故カオルは隠すんだろう。と言ってたよ、とニヤけるユキちん。そりゃそうである。口が裂けても言うもんか。薄々わかってはいるだろうし、それだけで十分である。それに、彼がキスしようとからかっていた、あの感じの悪い男に出くわし、「あれ〜、久しぶりじゃない?こりゃまた、別の新しい男かと思ったヨ。」とか余計なことを言われただけでも、十分である。こやつは本当に、お勉強はできるんだろうが、自分がフラれた女の子には嫌味を言うしか能のない人物であった。

 さて、彼は美味しいブリュッセルのビールやムール貝をお腹いっぱい食べ、大満足で帰って行った。電話だけでは足りなかった、たくさんの積もる話をし、頑張ってプルミエプリ取って来いよ、オレも早く中国で仕事ができるように頑張るから。と言って、またもや未来の約束などせずに、抱き寄せてもらっただけで別れた。

 私にはそれで満足であったが、当然、寂しい思いも後には残った。それはその時、すでに三年目の延長のことをぼんやりと考え始めていたからでもあったかもしれない。二人の見えない未来は続く。この先、本当に一緒にいられることができるのだろうか、今度は彼の方がまた、海外に行ってしまうことになるのではないか。

 よくぞ続いている自分たちの気持ちに感心しながらも、私は毎度毎度、精神を試されているかのようで、ため息をつくのであった。

 今は苦しいけれど、最終的に、この留学が自分にとって本当にためになったと思える日が来るかもしれない。そう、当時の日記の一ページには、記されてある。

2017年5月15日 (月)

四十六 お別れ

 私が惚れる男たちというのは、今の夫含め、共通して大変クールである。そしてまた、ここぞというピンポイントだけ、実に気が利いて優しかったりする。よくやりがちな男性陣の、ちょっと違うんだよなァ…って女性の期待を外しちゃうようなコトは、ない。

 女は愛するより愛されよ、と言うけれど、それは私の場合、全く当てはまらない。何故ならすぐに飽きちゃうからである。言っておくけど、飽きたくて飽きるわけじゃないし、望んで次を選んでいるわけでもない。大好きな人だったのに、気づいたら他の人を好きになってしまっていたりして、そんな自分に本当は、嫌気がさしていたのである。だけど結果的にそうなっちゃうんだから、しょうがなかった。だから友人たちは皆んな、カオルはとてもまともな結婚はできないだろうと思っていたようだし、まあこれを読んでもわかっていただけるかもしれないけど、私自身もそう思っていた。でも今の私はとびきり幸せな結婚生活を送っているわけだから、人生とはわからないものである。一番びっくりしてたのは、まわりの友人たちだったけど。

 とにかく、そのクールな東北の彼氏は、クリスマスは会えないと一点張りだったくせに、突然、ベルギーに遊びに行くと言いだした。そっちの彼氏は元気?なんてカマかけながら、確かめに来る気、満々である。

 「二月にちょっと、大型連休が取れるんだ。どうやって過ごそうかなって思ってるところ。カオルが迷惑だったら中国にでも行くから、決めて。」

 「会いたいの?」

 「ホワイトビールを飲みに。アキカさんや大使館のお世話になった方たちに会いに。それから誰誰さんに、キスしに。」

 ちなみに、誰誰さんというのは私ではなく、当時私にモーションかけてきていた、今思い出しても許せん男の名前である。

 私は笑い、そして会いたくて、「二月は私も休みだよ。来るなら言って。」

 と言ってしまった。

 さあ、大変である。どうしよう。ちょうどよっちゃんともその頃は喧嘩が多く、別れ話も出たりしていたものの、緊急事態である。ユキやアキカさんたちに相談すると、みな、口を揃えて

 「カオル、愛の逃避行よ!」と言う。東北の彼を、ベルギー以外の国に誘い出せと言うのだ。まったく、女というのはずる賢い。

 でもそんなこと、頭のいい彼が納得するはずなどない。

 案の定、「オレはベルギー以外は行く気ないから。」とかわされる。そりゃそうだ。

 もう、こうなったらやっぱりよっちゃんと別れるしかない。嫌いになったわけではない人と別れるのは、いつだって辛いもんである。だって私たちは、仲良く平和に過ごしていたわけだったんだから。もっとも、こんな私に耐えきれなくて、別れたかったのはあっちの方だったと思うけど。

 一部始終を笑って見ている友人一同と、優しいアキカさんは、
「まあ、新しい風はピアノがうまくいくと思う。その方がいいよ。」
と言ってくれた。そして私は意を決し、彼と別れるのである。東北の彼氏を迎えるために。

 その頃、ブリュッセルでは別れブームで、友人ユキももれなく、付き合っていた彼氏と別れたりしていた。異国の地での別れ。ましてや試験前。その不安さは、ハンパない。

 そんな私のグラついた心を支えるかのようなタイミングで、東北の彼からの誕生日プレゼントは届くのである。

2017年5月 8日 (月)

三十六 帰国した彼

 私の恋愛は、空港での想い出が圧倒的に多い。

 今書いている恋が、めぐりめぐって今の夫に辿り着くワケなんだけど、札幌出身の夫とも、まだビミョーな関係の中、羽田空港でのお出迎えやお見送りシチュエーションはあったっけ。あの時もドキドキしてたな。まあいいとして。

 私は彼の到着を、ドキドキで待った。思えば何度も空港での感動の再会、涙のお別れがあった。くっついたり別れたり、中国にまで乗り込んで復縁しに行ったりと、当時はフツーにやってのけてたが、今思えばいかにパワフルで、ドラマチックな関係だったことか。それはそれで大変だったが、面白かった。

 彼は二年間の北京大学での留学生活を終え、日本に帰国した。秋からの中途採用に向けて、就職活動するための夏休みである。だからあんまり会えないし、かまってやれないよ、と言われていた。私は私で、会えるだけで嬉しかったし、それに他にもたくさんの女友達や男友達、先生方とのランデブーがあったから、暇ではない。そんなことは承知の上であった。

 一年ぶりに会う彼との再会は、緊張して顔がまともに見られなかった。何を話したかも覚えていない。まあこんなに年月が経っちゃ、もともと覚えてないんだけど。でも嵐の中を運転して帰り、ブレーキの踏み方が危ないよ、と注意されたのは覚えている。その日はそのまま、彼の家に泊まった。彼の部屋は実家の離れで、キッチン付きのちょっとしたコテージのような素敵なところであった。

 彼とはショットバーのバイト仲間だったので、帰国するとまず、仲間のいるその店によく遊びに行った。考えてみたら、今の夫も当時は珈琲屋で働いていて、私はしょっちゅう入り浸っていたから、状況は似ていたかもしれない。とにかく、仲間っていうのはいいものである。まわりも応援してくれるし、彼に会いたいな、と思ったらとりあえず店に行ってみると居たりする。今みたいに携帯がなかったから、(あったけど、すっごくデッカくて重たいトランシーバーみたいなやつで、その次は電波の悪いPHSが普及した)家電話にかけるのも億劫だったし、とりあえず行っちゃえ、みたいなノリがあったのである。

 その店の仲間たちは本当に楽しかった。そして、就活で忙しいと言ってたわりには、私たちは頻繁に会っていた。ここを逃したらあと一年先まで会えないかもしれないからである。私たちは価値観も似ているところがあったので、お互い、気ままに異性とも遊び、嫉妬もしつつ、なんだかんだと仲良くやっていた。そしてうちの両親も、てっきり結婚するもんだと思っていたらしい。人生とは、わからないものである。

 私は全身全霊をかけて彼のことが好きだったが、お互いに発展途上で、これから先、やるべきことが山ほどあり、進むべき道がどこへ向かっているのか、誰にもわからなかった。彼のセリフは決まって「頑張っていれば、必ずうまくいく」であったし、具体的な私たちの共通の未来の話は全く出てこなかった。それが不安で、一体いつになったら一緒になることができるのか、私は怖くて考えたくなかった。そんな話になればなるほど、喧嘩になる。それよりは今、お互いの気持ちが続いているのなら、この瞬間を頑張るしかない。そうお互いに思っていたと思う。

 日本での楽しい夏休みの時間は、あっという間に過ぎた。楽しい時は早いものである。そして私は毎日、たくさんの女友達たちと会い、そしてまた無意識にたくさんの男友達に恋の種を蒔いては、人生の夏を謳歌していた。

 竜宮パラダイスな夏休みは続く。

2017年4月28日 (金)

十七 音楽と恋愛

 私は男女共に友人が多くて、いつもその個性的な連中に楽しませてもらっているんだけど、恋仲になる者もまた、多かった。高校時代から始まって、いつも誰かしら付き合っている人がいたので、近所のおばちゃん方からも 「あらー、カオルちゃん、今度はだあれ?」なんて、母上がからかわれる始末だった。謝罪申し上げる。

 今度こそはストイックな生活を送るんだと思ってブリュッセルの穴ぐらの中にこもったけど、そうは問屋がおろさなかった。

 秋になると早速、イギリスに留学していた高校時代の彼氏が遊びにやって来た。お互いに、まあ良き友人として再会しようと思っていたのに、頑張っている姿というのは輝いてしまっているもんである。

 「オマエ変わったな。見直したよ。」

 とか言って、数ヶ月間、イギリスから電話がかかってきた。私は彼のいる間、イギリスへは遊びに行かなかったけれど(何しろ、北京の彼氏は大陸の果てで応援してくれているのだ)恋愛感情みたいなものは、お互いの中に流れたと思う。いつそれが終わったかは定かではないけど。

 北京の彼は、マメに手紙を送ってくれた。ほぼ毎日届いていたように記憶している。私はポストを見るのが楽しみで、郵便屋さんのベルに思わず、バスタオル一枚で飛び出して驚かれたくらいであった。

 男友達にも女友達にも、よく手紙を書いた。そしてみんな、マメに送ってくれた。四年も経つとだんだん日本からの便りは減っていったが、その中でも小学校時代の女友達だけはずうっと手紙を送り続けてくれて、最後の帰国の時に処分するのが惜しまれたくらいである。

 インターネットが普及したのは私が帰国した直後であったから、当時メールなどなかった。でもそれが良かったのかもしれない。アナログな世界で、毎日の時間がゆっくりと流れ、勉強する環境にはぴったりだったと思う。

 そんな生活の中で、半年ほどは、私は遠距離恋愛に没頭していた。北京の彼氏のことは120%惚れていたし、大好きだったけれど、それでも不思議と結婚のイメージは全然湧かなかった。きっと彼の方も同じだったと思う。何というか、お互いに頑張っている同志という感じが強かったから。

 だから日本で夏に彼と会うまで、私は一人で頑張ろうと思っていたのに、出会いはどんどん降って湧いてくる。要するに、惚れっぽいのである。だから漠然と、自分は結婚するなら、相当惚れた相手じゃないと破局すると、肝に銘じたのもその頃からであった。

 私のパリの師匠である女流ピアニスト、アンリオ シュバイツァー氏が、事ある毎に学生に 「オマエは恋愛をしているのか?恋をしろ!恋もしないで、そんな曲を持って来るな。」 とおっしゃっていたが、私には一言も言わなかったのは何かを察していたからであろうか。

 先生は先生で、昔相当なロマンスがあったであろう、金髪を結い上げた青い目がチャーミングな美しいおばあちゃんであった。先生がため息をつくと、それはそれはアンニュイで、魅力的な方だった。

 そのステキなレッスンについてはまた書くけれど、とにかく、白状するけど、恋愛することと音楽は、私にとっては切り離せないものであったことは確かである。

2017年4月26日 (水)

九 北京の彼

 その彼は、イギリスからチャリンコに乗ってやって来た。

 何故イギリスかと言うと、北京大学の夏休みの間、彼は帰国したイギリスのルームメイトの家に遊びに行っていたからである。そこで彼は適当な自転車を調達し、イギリス中を走り回り、その後、チャリを列車に積みドーバー海峡を越えてオランダに入り、そこからベルギーまで走り、私のアパートの目の前までやって来たのである。もちろん、彼自身楽しむためと、私をビックリさせる目的で。

 ところが計画は完璧には行かなかった。そこで待っていて、と言われた私が、そんなこと聞いちゃいなくて、駅まで迎えに行っちゃったからである。だって自転車でイギリスから来るなんて聞いてない。てっきりユーロスターで到着するもんだとばかり思っていたから(普通は思う)私の心は南駅に走っていた。

 なかなか来ないもんで、おかしいなと思いながらアパートに戻った時は、大変な騒動になっていた。よくは覚えていないけど、玄関ベルを押しても私が出ないことを心配した彼が、先輩アキカさんを呼び、アキカさんはアパートの大家を呼び、鍵を開けてもらって、みんなで家宅捜索をしていた模様。

  「彼女、身体が弱くてよく倒れるんです。中で倒れてるのかも」
 と言って心配していた彼らの目の前に、戻ってきた私が到着。

 今思えば漫才のような話だけど、あの時は彼にめちゃくちゃ怒られた。ここに居て、って言ったでしょう!って。そりゃないよ。国際電話でサラッと言われたことなんて覚えてないし、だいたいそっちが悪いのだ、チャリンコでなんか来るから。

  って、のっけからそんな出だしで登場した彼を、仲間内が面白がらないはずがない。たった二週間のブリュッセル滞在だったが、かなりのインパクトと共にその存在感を残してゆき、二度目に訪問する時まで、私の留学生活を常に大陸の東の果てから応援してくれていた人であった。

  彼はその後二年ほどで日本に帰国したが、結局、私は彼につられて帰国することはなかった。帰れば彼は居る。でもその時の私は、悩みまくった末に現地での勉強をとった。こうやって書くとまたまたカッコつけてるみたいだが、私という人間は恋多き女でありながら、ただそれだけでは満足できない欲深い女なのである。(我が師匠説)

 彼とはこの間久しぶりに友人の葬儀で再会した。全く変わらない風貌で、懐かしい話で盛り上がってきたけれど、その後私は、彼も知らないようなたくさんの出会いに支えられながら、お金を工面しつつ、一年間だけと思っていたエンドレスな留学生活は続いて行ったのである。