勉強、試験、レッスン

2017年7月13日 (木)

百二十二 落選

 バルセシア国際コンクール、一次予選の発表日。

 結果は、落選であった。私は予選を通過することはできなかった。ガッカリである。私の前に弾いたマツオカさんも、ブリュッセルから偶然一緒に受けることになった友人も、共に落ちた。アリッサはこれからだったので、どうだったかはわからない。審査員のロシア人女性に評価を尋ねると、「シンプル過ぎた」との答えが返ってきた。

 スクリャービンは、縦割り過ぎたので、もっと流れるように弾いて欲しい。貴女の音は一種類のフォルテとピアノしかないから、もっと増やすべきだ。とのことだった。そして、あなた、テクニックは問題ないのだから、音をもっと太らせなさい。と助言してもらった。

 私はびっくりした。テクニックは問題ない?今までの四年間、自分はテクニックがないと思い込み、そればかりに追われていた。音色のことより先に、もっとやるべきことがあると思っていたのだ。これは、けっこうショックというか、新しい発見であった。そうか、音色か。太い音か。難しい。私は当時、四十キロもあったのかというくらいに痩せていたし、まずはとりあえず、太らなければならない。これは難題であった。まあ、それよりももっと他に音色を増やす手だてはあったとは思うし 、音に対するイメージをもっと膨らませたら、音色の広がりが出てくるのだけれど、その時の私にはよくわからない。でも音の太さと言えば、十キロ以上太った今となっては、それだけで昔に比べたら全く容易くドカンと出るようになったのを感じるので、当時の私には、早いとこ出産して体型を変えろと言ってやりたい。

 とにかく、考えさせられることが多くて呆然としている私のところへ、日本人の有名どころの審査員もやって来て、アナタ、今度よかったらレッスンにいらっしゃいな、と言って、名刺をいただいた。自慢話が多く、私には好きになれないタイプの方だったが、気持ちはぐらついたのを覚えている。

 そして結果的に、予選通過者はもれなく、コンクール用の講習を受けに来た者か、審査員の弟子が多く含まれていたことを知る。おお、Mr.カワソメが言っていた、ウワサの「イタリア、コンクールマフィア伝説」という、あれか。初めて自分の目で、裏の世界を見たような思いだったが、まあいい。私は結局、至らなかったのだ。救いだったのは、あのアリッサがホテルまでわざわざ会いに来てくれて、「カオルの演奏はとてもドルチェで(甘くて)良かった。きっと他のコンクールへ行けば、いつか通るよ。」と真顔で言ってくれたことであった。これは嬉しかった。何よりも、彼女の心づかいが嬉しかった。優しい人である。そして、連絡先を交換し、私たちは握手をして別れた。

 私の気持ちは、ブリュッセルへと飛んでいた。早く、一刻も早く帰りたい。

 ほんとは、まだ先の二次を聴いて帰った方が良かったのだろうが、私は今すぐこの場所を立ち去りたかった。

 次の日の朝、virginのオフィスに電話をすると、ラッキーなことに今日の便に変更できると言う。ポーランド人の男の子、ピーターに荷物を部屋から降ろしてもらい、住所交換をして、大急ぎで、朝食も食べずにマダムに駅まで送ってもらった。

 飛行機は順調に飛び、ブリュッセルに着いた時は思わず感極まって涙ぐんでしまった。不思議なことに、コンクールの間じゅう、帰りたいと思っていた場所は、日本ではなく、ベルギーであった。フランス語が喋りたい!あの半地下の部屋へ戻りたい!完全にホームシックである。

 よっちゃんは、空港まで迎えに来てくれていて、嬉しかった。もう、べらべらべらべら、溜まっていたストレスを吐き出し、エヴァとセルジュに会い、庭でウサギを見ながら話し…。あとは、疲れていつの間にか眠ってしまった。

 よっちゃんから、留守中に、東北の彼から電話があったよ、と聞いたことだけが、驚きであった。そういえば、コンクールを受ける前、私は一瞬魔が差して、彼の実家に電話を入れておいたのだった。

 そして私と彼は帰国を目前にして、一年ぶりほどに話をすることになる。
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