勉強、試験、レッスン

2017年7月13日 (木)

百二十二 落選

 バルセシア国際コンクール、一次予選の発表日。

 結果は、落選であった。私は予選を通過することはできなかった。ガッカリである。私の前に弾いたマツオカさんも、ブリュッセルから偶然一緒に受けることになった友人も、共に落ちた。アリッサはこれからだったので、どうだったかはわからない。審査員のロシア人女性に評価を尋ねると、「シンプル過ぎた」との答えが返ってきた。

 スクリャービンは、縦割り過ぎたので、もっと流れるように弾いて欲しい。貴女の音は一種類のフォルテとピアノしかないから、もっと増やすべきだ。とのことだった。そして、あなた、テクニックは問題ないのだから、音をもっと太らせなさい。と助言してもらった。

 私はびっくりした。テクニックは問題ない?今までの四年間、自分はテクニックがないと思い込み、そればかりに追われていた。音色のことより先に、もっとやるべきことがあると思っていたのだ。これは、けっこうショックというか、新しい発見であった。そうか、音色か。太い音か。難しい。私は当時、四十キロもあったのかというくらいに痩せていたし、まずはとりあえず、太らなければならない。これは難題であった。まあ、それよりももっと他に音色を増やす手だてはあったとは思うし 、音に対するイメージをもっと膨らませたら、音色の広がりが出てくるのだけれど、その時の私にはよくわからない。でも音の太さと言えば、十キロ以上太った今となっては、それだけで昔に比べたら全く容易くドカンと出るようになったのを感じるので、当時の私には、早いとこ出産して体型を変えろと言ってやりたい。

 とにかく、考えさせられることが多くて呆然としている私のところへ、日本人の有名どころの審査員もやって来て、アナタ、今度よかったらレッスンにいらっしゃいな、と言って、名刺をいただいた。自慢話が多く、私には好きになれないタイプの方だったが、気持ちはぐらついたのを覚えている。

 そして結果的に、予選通過者はもれなく、コンクール用の講習を受けに来た者か、審査員の弟子が多く含まれていたことを知る。おお、Mr.カワソメが言っていた、ウワサの「イタリア、コンクールマフィア伝説」という、あれか。初めて自分の目で、裏の世界を見たような思いだったが、まあいい。私は結局、至らなかったのだ。救いだったのは、あのアリッサがホテルまでわざわざ会いに来てくれて、「カオルの演奏はとてもドルチェで(甘くて)良かった。きっと他のコンクールへ行けば、いつか通るよ。」と真顔で言ってくれたことであった。これは嬉しかった。何よりも、彼女の心づかいが嬉しかった。優しい人である。そして、連絡先を交換し、私たちは握手をして別れた。

 私の気持ちは、ブリュッセルへと飛んでいた。早く、一刻も早く帰りたい。

 ほんとは、まだ先の二次を聴いて帰った方が良かったのだろうが、私は今すぐこの場所を立ち去りたかった。

 次の日の朝、virginのオフィスに電話をすると、ラッキーなことに今日の便に変更できると言う。ポーランド人の男の子、ピーターに荷物を部屋から降ろしてもらい、住所交換をして、大急ぎで、朝食も食べずにマダムに駅まで送ってもらった。

 飛行機は順調に飛び、ブリュッセルに着いた時は思わず感極まって涙ぐんでしまった。不思議なことに、コンクールの間じゅう、帰りたいと思っていた場所は、日本ではなく、ベルギーであった。フランス語が喋りたい!あの半地下の部屋へ戻りたい!完全にホームシックである。

 よっちゃんは、空港まで迎えに来てくれていて、嬉しかった。もう、べらべらべらべら、溜まっていたストレスを吐き出し、エヴァとセルジュに会い、庭でウサギを見ながら話し…。あとは、疲れていつの間にか眠ってしまった。

 よっちゃんから、留守中に、東北の彼から電話があったよ、と聞いたことだけが、驚きであった。そういえば、コンクールを受ける前、私は一瞬魔が差して、彼の実家に電話を入れておいたのだった。

 そして私と彼は帰国を目前にして、一年ぶりほどに話をすることになる。

2017年7月12日 (水)

百二十一 コンクール本番

 コンクール、一次当日。ありえないことが起きた。

 七時半に部屋のドアをノックされる音で目が覚める。ビックリして飛び起きると、七時にかけたはずの目覚ましが止まっていた。明け方とても寒くて目が覚め、セーターを着たり服をかけたりでブルブル震え、具合が悪かったせいもあり、体調は最悪だった。

 五分で用意をして、ホテルのマダムの車に乗せて行ってもらったのだが、(よりによって、こんな遠いホテルに朝イチ出場者が四人も泊まったのだ。)私は練習室でずっと貧血気味で、力も出ず、もう本番にかけるしかないと思っていた。

 私の出番は十時。マツオカさんの、ショパンバルカローレの次だった。休憩を挟むはずだったのに、時間が押していたのでなくなり、すぐに舞台へと上がった。

 朝から調子がこんなだったので、あまり良い出来にはならないと思っていたのだが、信じられないことに私は三曲共、変なミスもなく、まともに弾くことができた。本番の、ど根性である。ここまで完璧に弾けたのは久しぶりだった。コンセルヴァトワールの試験では、曲が多くて集中力も分散していたのかもしれないな、と発見する。会場の雰囲気も、午前中ということもあって、穏やかな感じでとても弾きやすかった。アリッサが聴きに来てくれているのが見えた。嬉しかった。

 ただ、反省点としては、テクニックを見せる部分でいまいち精神力が弱くなってしまったこと、フォルテッシモの時に力が後ろに引けてしまったこと、などが挙げられる。緊張するとどうしてもそうなる。今度からはもっとゆっくり練習しておこう。もっともっと、細部に渡って気を使っておかなければならない。いろいろなことがまた、勉強になった本番であった。

 嬉しい発見だったのは、「本番はみんな同じ気持ちなんだ。」ということである。

 いくらバリバリに弾ける人だって、ステージに上がる前は緊張するのである。皆、真剣勝負で、「本番、どうなってしまうんだろう」という不安は一緒なのだ。あんなに弾ける人が、舞台裏では真っ青な顔をしていたりする。私も昨夜は、「もう絶対ピアノなんて、コンクールなんて嫌だ」と思って気絶しそうだったけれど、弾き終わってみると、またやってみたい!と思っている自分がいる。

 とにかく、今回のコンクールは私にとってとてもいい経験になった。帰国前にトライしてみて、本当に良かった。いや、まだ一次が終わっただけなんだけど、その時の私は心からそう思った。その後、日本へ帰国した後も、何度かコンクールは受けているが、コンクールというのはハッキリ言って、「自分との戦い」のみである。受かれば嬉しいが、落ちても誰も文句を言わない。ところが演奏会というものはそうではない。お客さんを呼ぶ以上、楽しんでいただかなくてはいけない、プロ根性というものが必要とされる。舞台とは、いつどんなものでも手を抜いてはならない、良い意味での緊張感を必要とされる、難しいものなのだ。楽しいけど。

 終わった次の日、私たちは、審査員たちが入っていったピッツェリアの店を狙って、昼食をとった。そこはとっても美味しくてホッとした。何しろ我々は前日、安いピッツェリアで、まさかの冷凍パスタ機内食バージョンのようなものを食べさせられていたからである。美味しいお店でいただいたのは、サーモンの自家製タグリアテールだったが、さすがはイタリア、麺がハンパなく美味い。大満足のランチであった。

 午後は二次予選の曲の練習にあたる。二次には確か、バーバーとモーツァルトのソナタ、そしてコンチェルトを用意していた。二次はもう弾きたくない気持ちと、落ちたら悔しい気持ちとが半々である。とりあえずその日は、何のストレスもない中での練習なので、気分は良かった。他の出場者の演奏も聴きに行き、良いひとときを過ごす。皆、はぎれのよい、面白い演奏だったが、柔らかい音色の人が少なく、もっと綺麗な音を聴いてみたかった。まあ、あまり良いピアノではなかったのだけれど。

 私の演奏は、どうだったのだろう。アリッサが褒めてくれていたけれど、自分の耳は遠くには行かれないから、わからない。考えても仕方ないので、その日はぐっすり眠ることにした。

 ともかく、明日は合格発表の日であった。

2017年7月11日 (火)

百二十 イタリアへ

 イタリア入りの前夜。私はオリビエ一家を招いて、リハーサルかねて、部屋でミニコンサートを開いた。

 一次予選の、ラフマニノフのエチュードと、スクリャービンの小品、二次予選のモーツァルトのソナタだけをとりあえず聴いてもらう。間に、みんなで軽くお茶をして、たくさんお喋りをして、とても楽しかった。その時、エヴァが日本に来たがっていることを知る。私は歓迎し、コンクールが終わったらみんなで食事をしようと話した。いい夕べであった。

 九月七日、八時起床。フランス語教室へ行くよっちゃんに、行ってきますと告げて、いざ、イタリアバルセシアへ出発した。

 飛行機はvirgin。意外にも定刻通りに飛び、到着時刻ジャストにミラノに着いたので驚いた。しかも、その次の乗り継ぎも良く、十四時二十分発の電車に飛び乗る。次の乗り換えにも、五分の待ち時間でスムーズに済んだ。VARALLO行きは汽車で、ポーッと言いながら黒いススが入ってくる。ローカルな路線である。イタリアはいいなあ。なんて呑気に思っていたのも束の間、VARALLOに着いてからは、物珍しそうな、まるで異星人でも見るかのような人々の目に驚いた。ここには外国人などめったにこないらしく、小さな町の善良な市民は、イタリア語以外は絶対に喋らないと決め込んだかのようであった。

 私の泊まったホテルはとても良いところで、フランス語も通じるマダムも居て、快適であった。バルセシアはとてもいい天気である。山あいなので朝晩は冷えるが、日中は日差しが強く、とても暑い。歩いて会場まで行ってみたが、けっこう遠かった。置いてあったピアノはカワイで、一人十分間、交代で触らせてもらう。とても良く響くピアノで、皆、とびきりのテクニックでガンガンに弾きまくっていたが、私は音が綺麗に響けばいいな、と思う。うまく弾けますように。

 練習は二時間半、飛び飛びに、学校の校舎のようなところで、アップライトの、えらく響く教室で行われたので、隣の音と混じってすごいことになった。

 私はロシア人の、二十五才のアリッサという女の子と友達になった。とても可愛い、性格のいい子で、私たちは英語で何とか会話しながら、食事をした。彼女は初めてのコンクールだと言って、緊張していた。偶然、私の日本の大学で非常勤講師をやっているというマツオカさんとも出会い、ポーランド人の男の子とも知り合い、一緒に行動することになる。こういうところに来ると、友達がたくさんできて楽しい。

 そして、明日はいよいよコンクール一次予選の本番となる。

 どうか、悔いのない演奏ができますように。私は祈りながら、眠りに落ちた。

2017年7月 9日 (日)

百十八 コンセルヴァトワール最後の試験

 一九九九年、七月一日、木曜日。

 私の、留学生活最後の実技試験がやって来た。曲目は当日の午後二時に発表され、よっちゃんの予測通り、プーランクのコンチェルト一楽章と、ベートーヴェン悲愴ソナタの三楽章、バーバーのソナタ三、四楽章に決まった。比較的長いプログラムである。

 バーバーが当たったと聞いた時は卒倒しそうになった。一年目に弾かされたフーガを、またもや三楽章から続けて演奏することになろうとは。よし、望むところだ。自らリサイタル用にと準備したこの曲。弾いてやろうじゃないの。そう思いたいところだが、フーガというのはいつだって暗譜が吹っ飛びそうになり、相当の集中力を要する。私は緊張に冷たくなった手にハンカチを握りしめ、舞台に上がった。

 舞台からお辞儀をしたその時、審査員の中に、一年目にお世話になったマダム・アンシュッツが居て、私をまっすぐに見て微笑んでくれていた。最後のステージであったので、これは嬉しかった。先生に、いい演奏を聴かせたい。私は落ち着いて深呼吸をした。

 まずはプーランクから弾き始める。弾いている間にも、ああ、綺麗な音を出せてるな。テンポもいいな。と感じる余裕があった。アシスタントと一緒に二台ピアノで弾くコンチェルトは、楽しかった。続いてベートーヴェン。細部が転んでしまい悔しかったけれど、音色や、フォルテとピアノの使い分けはうまくいったと思う。

 バーバーは最後に弾き始めた。三楽章はいわゆる緩徐楽章で、ゆったりと重々しい曲想なので問題なかった。私はこれが得意である。さあ、続いて問題のフーガだった。最高の緊張感。間合いを入れて、よし行くぞと呼吸を整えてから入る。これはやっぱり恐ろしかった。旋律の特色までうまく表現することができない。もう、それどころじゃあない、と言った感じ。いやはや、勉強になりました。止まらなくって良かった。セーフセーフ。ヒヤヒヤもんである。おかげで、帰国リサイタルで演奏する時は、一番落ち着いて弾くことができたと思う。

 全体的に、集中力は非常に伸びたと思えた、コンセルヴァトワールでの最後の舞台であった。終わってから、Mr.ミタに「プーランク、良かったよ。」と言ってもらえて、これも嬉しかった。

 弾く直前によっちゃんからも置き手紙をもらった。

 本当に四年間よく頑張りましたね!

 私も三年あまりず〜っとカオルちゃんの演奏を聴いて来たけれど、今年程、曲の仕上がりが安定していて、聴きごたえのあるのは初めて。だから大丈夫、安心して落ち着いて、ちょっとのミスぐらい、出口がわからなくなっても迷わず、堂々と思いっきり弾くことです。試験を思う存分楽しんで来て下さい。

 と、熱いメッセージが書かれてあった。

 これが日記の間からパラリと落ちて来た時は、思わず笑ってしまった。

 時は巡り、こんなに時間が経ってもなお、手紙とは残るものなんだなあ。下手なことは書けん。よっちゃんに伝えたら、今すぐ焼き捨てて!と言われそう。そんなことを思う、今日この頃である。

 そして私はめでたく、満場一致で合格した。我が最後の試験に、悔いなし。本当に、生涯で最後の試験となる演奏だった。長い学生生活だった。

 後で実感することだが、試験と、コンクールと、コンサートの本番はそれぞれ違う。それぞれに違ったプレッシャーがあり、舞台の雰囲気も、全く違うものである。言ってみればコンクールが一番会場の雰囲気が冷たく、コンサートが一番温かい。私はやっぱり、お客さんに喜んでいただけるように作る舞台が一番好きだ。

 さて結果を報告するべく、師匠Mr.カワソメに電話。イタリアのリサイタルの件はうまく話が運んでおらず、まだ決まってもいない状況だそうで、私はブリュッセルでのコンサートに切り替えることにした。結果的には、これも会場が取れずにキャンセルとなってしまうのだが、きっと何かしら、そうである方が良いことになっていたのだろう。

 私は、試験が終わった喜びをかみしめながら、しばらくその自由を満喫し、解放感に浸った後、九月に受ける予定のコンクール準備に取り掛かかることにした。

 その間にも、帰国することについてなお、心は揺れ動くが、その時を十月十七日に決める。そしてよっちゃん自身も八月下旬で仕事を辞めることに決め、共に帰ることとした。

 風来坊がサマになっている彼としては、ベルギーに何の未練もなく、サッパリと手放しで喜んでいたように思う。そして驚くほどドカドカと荷物を捨てて、スーツケース一個にまとめていた。すごい。さすが、卒業した次の日にランドセルを捨てようとした男である。

 反面、自由な割に、その土地に根付きやすい私は、本当にいろいろなことを考えながら、その最後の夏を過ごすことになった。

2017年7月 5日 (水)

百十四 ディプロム取得

 妹たちが帰ってすぐの、三月三十一日。

 ちょっとした予感がして、コンセルヴァトワールのセクレタリーに寄ってみると、その日、プルミエプリのディプロムが出来上がっていた。やっと手にした卒業証書である。嬉しい!日本でこれだけ嬉しかった卒業証書があろうか。ヨーロッパサイズの変わった大きさで、ちょっと横長の、大きめの紙で、学長先生はじめ、先生方のサイン入り。私もサインさせられた。これは、汗と涙の結晶である。ずっと大切にしようと思った。

 今でもこれはピアノの部屋に飾ってあり、生徒たちにたまに「これなに〜」と訊かれるが、私が外国へ行っていたことを知らないチビちゃんもいるので、驚くようである。子どもたちは本当に可愛い。

 それからは、7月あたまの試験に向けて、切磋琢磨の日々だった。

 コンチェルトの合わせが始まり、プーランクも意外と難しいので汗だくになっている。

 それから私はレッスンの日、うっかり楽譜を忘れてUターンし、もう間に合わないのでタクシーでコンセルヴァトワールまで行ってもらったことがある。運転手の兄ちゃんに訳を話すと、もうノリノリで、トラムも信号も無視して車をぶっ飛ばしてくれた。おかげで間に合ったが、ベルギー人の運転はただでさえ荒いので、かなり青ざめながら乗っていたと思う。

 バーバーのソナタは全体的にいつも褒められており、エチュードは苦労している。日、一日と追い詰められ、早く日本に帰りたいと現実逃避が始まっている。

 けれどこの最後の年は、やはりずいぶん曲を仕上げるスピードも、完成度も高くなってきていた。アンリオ先生にも初めて褒められる。バッハのパルティータを弾き終わった時、先生は一言、

 「カオル、これはマリアージュ(結婚式)のダンス音楽だ。タリス(ブリュッセルとパリを繋ぐ新幹線)のように、ぶっ飛ぶな。もっと、まわりの風景を見ながら呼吸してみろ。」

 と言われ、ハッとする。

 なんだかわかったような気がして弾き直してみたら、

 「beaucoup mieux !(ずいぶん良い)やればできるじゃないか。わかったか!」

 と言われたのである。
自分の音も、澄んでいたのがわかった。

 聴いていたシホちゃんに、
「いいな、カオルちゃんは、音が綺麗でいいなあ。」
と言われたのも、嬉しかった。

 私には、何かひとつ、小さな光る星があるんじゃないか、という希望が湧いた出来事であった。

 それに加え、私は師匠のMr.カワソメから、母校のイタリア研修所でのリサイタルについての提案も受けて、はしゃいでいた。発表の場ができるのは、本当に嬉しい。頑張って仕上げよう、という気が湧いてくる。

 四月に入るとエリザベートコンクールも始まり、街は四年に一度のオリンピックのような活気と興奮に包まれていた。日本から、友人のしづちゃんもベルギーに再来して、私たちは久々の再会に喜ぶ。

 そして勇敢なるエリザベート出場者たちの応援に、私たちは熱狂するのである。

2017年6月24日 (土)

百三 四年目の選曲

 四年目の試験課題曲に、私はまず、プーランクのコンチェルトを選んだ。

 これは確か、アシスタントに勧められた記憶がある。貴女によく、似合ってるわ。それにこれ、エリザベートコンクールのテーマソングなのよね。オープニングで流れる曲よ。と言われる。実際、これはモーツァルトのコンチェルトよりも簡単であった。(近現代得意な私にとっては。)だけど綺麗な曲なのだが、どうもやってみるとピアノがメインというよりはオケがメインで、ピアニストとしては少々、物足りなく感じる。けれど四年目の選曲としては、コンチェルトよりももっと他に、私の目標としたいものがあったのでヨシとすることにした。

 私は少しずつ、日本でのリサイタルプログラムを意識するようになっていた。だからこの年、私は自分の得意路線で、大きなソナタに取り掛かることに決めている。

 バーバーのソナタ、全楽章。最終楽章のフーガだけは、一年目にチャレンジしていたが、全楽章は初めてである。前章で、メルクス先生が十八番だと言っていた、その曲。これは日本の大学で、先輩であるヨシミちゃんが弾き、その時から大好きな曲となったもので、いつか自分も弾いてみたいと思っていた。私は当時痩せていて、なかなか迫力ある音が出せなかったのが難点であったが、今ならばこの曲を仕上げることができるような気がしていた。今振り返ると、よくぞこの膨大な課題の中で、このソナタを仕上げることができたなあと思う。よっぽど最後の年は、私にはやれるという自信があったのかもしれない。そして後ほどこれを、帰国リサイタルのトリに持ってきている。通すと二十分前後ある、けっこう難解な曲である。

 その他には、バッハのパルティータ一番、ベートーヴェンの悲愴ソナタ、スクリャービンのエチュードop.65-3、ドビュッシーのエチュード、アルペッジョコンポゼを選んだ。お聴きになりたい方は下記からぜひどうぞ。

 私が最初に譜読みに取り掛かったのはベートーヴェンである。一番ラクだったし(と言っても全楽章であるが)、とにかくどれかを早めに仕上げてレッスンに持って行かねばならなかったからだ。その次に練習にかかったのは、バーバーのソナタ。大きい曲なので、少しずつ仕上げていかなくてはならない。順序よく計画を立ててやらないと、とてもじゃないけど間に合わなかった。でもこの年はずいぶんと譜読みも早くなり、自分でも驚いている。

 この秋にはまだ、私には、果たして夏の試験が終わるまでベルギーに残っていられるかどうかわからなかったが、演奏会のひとつでもして、納得できるくらいになるまでは居たい。と書いている。父からの帰れコールの圧力がかなりかかっていたが、私にはまだやりたいことが残っていた。

 ディプロムスーペリウールを卒業するまでには最短で四年、つまりあと二年は残らねばならなかったが、私にとってはこれは重要ではなかった。それよりも、演奏会一本できるくらいのレパートリーを作りたい。という思いが強かったと思う。お金ももう残り少なく、両親からの送金はもちろんない。ギリギリのところで、ただひたすら応援してくれているよっちゃんと共に、できるところまで残ろう、と決めていた。

 そしてその充実した秋は過ぎて行くのである。たくさんの、仲間たちと共に。

2017年6月16日 (金)

九十五 三年目の本番

 会場に着くと、ちょうどキボウちゃんが弾くところであった。少し聴いていたが、上手な彼女でもやっぱりけっこう緊張するんだなあ!と思う。続いてMr.ミタの演奏を舞台袖で聴き、緊張で心臓が速まりつつも、落ち着いてから試験に臨んだ。

 モーツァルトのコンチェルトは、私の出番の少し前のベルギー人の男の子が、同じ一楽章を弾かされていた。私は、彼に続いて二、三楽章を弾く、という按配だった。緩徐楽章である二楽章は、ピアノのソロから入り、後からオケがついてくる。よって、自分のペースで、テンポ設定ができるのが強みだった。少々ゆっくり過ぎたかもしれないが、三楽章はバッチリ、音楽的に弾けたと思う。

 ショパンのエチュードは、一回壊れかかったが、なんとか立ち直り、最後まで無事に弾ききった。難しいエチュードだった。

 演奏を終えるとジュリーたち(審査員)は控え室に戻りがてら、私の横を通り過ぎ、「良かったよ。」と言う顔をして目配せしてくれた。

 聴いていたしづちゃんたちには、モーツァルト、とても綺麗だった。ミタ君とはまた違って、小さい音なのに不思議と引けを取っていなかったし、よく飛んで来る音だった。と褒めてもらった。ミタ氏は確かベートーヴェンの皇帝を弾いていたと思うが、彼の演奏は素晴らしく、そのテクニックは抜きん出ていたので、私は密かに北斗の拳と呼んでいたのだ。

 家に帰ってからテープを聴いてみたが、壊れたエチュードは心配していたほどではなく、全体的に音楽的にまとまっていたのでホッとした。確か聴きに来てくれたよっちゃんも、満足だったよ!と言ってくれて、私はとにかくも、無事に終わった本番に安堵したのである。

 次の日はユキの本番であった。彼女はとても落ち着いて、音楽的に弾いていた。ちょうどその時、日本から聴きに来ていたユキのお母さんが、彼女の演奏を聴いて感動されていた。昼はみんなでコリアンで食事をする。ユキのお母さんは、彼女をパワーアップさせたような存在感のある方で、彼女のヨーロッパでの成長に大満足して帰って行かれた。そう、私たちは本当に、三年目にして大きく成長し始めていたのである。

 私はまだテンションが上がっているため、次の日もなかなか眠れないので、キボウちゃんや、しづちゃんたちと長電話をする。

 キボウちゃんは、私の次の年から入って来た優秀な学生だったが、カオルちゃん、今回は相当気合入れてたね。と言い、しづちゃんには、モーツァルトね、本当に良くなったよ。カオルちゃん、変わったよ。私、感動したもん。何て言ったらいいかうまく言葉にならないけど、音がすごく自然で、無理なく伸びてたよ。とまた、褒めてもらった。皆、私なんかよりずっと上手いのに、心から励ましてくれて感激したのを覚えている。

 そして私は無事、ディプロムスーペリウールの一年目の試験にパスした。プルミエプリの時とは違い、点数はつかずに、審査員たちのoui,non(イエス,ノー)の数で合否が決まった。私の前に弾いたモーツァルトのコンチェルトの男の子は落ちていた。厳しい。

 私は大喜びで師匠に電話を入れる。Mr.カワソメは自分のことのように喜んでくれて、現代曲しか弾けなかったお前が、モーツァルトを弾くとはなあ。お前、帰ってきたら絶対リサイタルやれよ!と、またまた念を押されたのであった。

 辛く長かった一年間の練習からようやく解放され、私は次の日、猛烈な食あたりと共に、夏休みを迎えるのである。

2017年6月15日 (木)

九十四 本番、一日早まる

 私は試験前日に、本番が一日早まって明日になったことを知らされた。驚きであった。でも日記には、不平不満は一切書いていない。もうヨーロッパってそういうところだし、ハイそうですか。と受け入れるしかないので、慣れっこになっていたと思う。

 前日に私はまた、東北の彼氏に電話をしている。ここまで来ると、もう別れたんだか何なんだか、結局のところ、電話の回数が減ったくらいで、以前と何が変わったのだかわからなくて笑ってしまうが、まあ私たちの中では気持ち的にすっかり整理はついていたので良かったのだろう。

 明日、試験なんだよ。と色々話をしたが、彼はすっかり、私と付き合う前の彼に戻っており、「ヨーロッパいいなあ、もう一度行きたいなあ。知り合いが居てくれるといいよな〜。」とか言っていた。

 午後は銀行へ行ってみると、残金がほとんどゼロになっていてガッカリしたが、とにかくも、来年度のアンスクリプションは提出しておいた。授業料なんて年間登録費一万五千円ほどだったし、もしも途中で帰国することになったとしても、まあ、損はない。

 そしてあくる日の七月一日、私は興奮してよく眠れなかったが、いざ、コンセルヴァトワールへと向かった。

 私の順番は、午後の最後、アルファベットMの、ミタ君の次であった。昼過ぎにアシスタントから電話があり、事前に、モーツァルトのコンチェルト二、三楽章と、ショパンエチュードに決まったと知らされる。きたか、あのエチュードが。コルニル先生には、バラードが当たるかもしれないから練習しておけ、と言われていたが、現在の夫いわく、あのエチュードを持ってきたら必ず当てられるだろうよ、とのことである。それだけ、難曲ではあった。審査員たちは、待ち構えたかのように聴くだろう。

 私はまず、腹ごしらえするために、フラフラとカフェに寄り、むりやりオニオングラタンスープを飲んだ。店のムッシューが私の顔色を見て、どうしたのかと尋ねてくる。私は、これから試験で、ピアノを弾くんだ!と応えると、おお、それならばもし、bien passee(うまく行った)なら、また来なさい!と言われる。学校へ着くと、友人たちに会い、少し落ち着いた。

 そして、緊張の本番はいざ、始まるのである。舞台はいつだって、死刑を宣告されて断頭台の上にあがるような心境であった。私だけではないはず。舞台を体験した者ならば、大きく首を縦に振るに違いない。

2017年6月14日 (水)

九十三 学生同士のリハーサル

 いよいよ、試験三日前。私たち学生らは、希望者だけで集まり、南駅近くの楽器店ホールにてレペティション(リハーサル)を行った。私はこの日、知人の披露宴だったので、二時頃抜け出してホールへと向かった。着いたらもうユキがいて、外でタバコを吹かしていた。

 メンバーは確か、ユキ、私、キボウちゃん、キョーコちゃん、それからMr.ミタだったように思う。他にも何人かいたかもしれない。ユキから最初に弾き始めたが、音もよく伸び、大胆で、とても上手くなっていた、と日記には書いてある。私は皆に、カオルちゃん、上手くなったねェ〜!と言ってもらった。嬉しかったと同時に、そっか〜、私ってそんなに下手くそだったんだなァ〜、なんて苦笑する思いである。他の皆んなは、いつものように素晴らしく上手に弾いていた。キョーコちゃんの、ベートーヴェンのソナタop.101がとても良かった、と記載されている。

 終わってから皆でカフェへ。盛り上がって、九時近くまで、三時間近くも話しに花が咲く。恋愛談、お笑い談。そしてMr.ミタの彼女が発覚する。密かに思いを寄せている子がいたので、期せずして失恋!となってしまった。残念。でも何を隠そう、私もミタ氏のことはタイプだったので、な〜んだ!なんて思ったりするのだが、彼には私のバカさ加減を気に入っていただき、カオルちゃん、今度また飲もう!電話する!と誘われた。本人は全く覚えていないであろうし、私も覚えてなかったけど。ああ、私って何でこういうオンナなんだろう。ほんとに書いていて呆れる始末である。よっちゃんがいるのに。

 帰宅するとオリビエ(大家さん)が、今モーツァルトの二十三番のコンチェルトを練習しているだろう、と話しかけてきた。大好きな曲らしい。私の試験を聴きに行きたいと言ってくれたが、その日はちょうど、ドイツに行くのでダメだと残念そうにしていた。そうそう、余談だけど、私とオリビエたちは、近所の建設工事反対の署名運動をしていた。裏の、鴨のいる池を取り壊して、ビルを建てると言うのだ。けしからん。そこはのどかで素敵な場所で、春になると必ず鴨たちが帰って来るところだったのである。そんなこんなで、私は特に、すっかりオリビエと仲良しになっていた。

 試験二日前には、来年度の学校のアンスクリプション(授業登録)と、学費の紙が届いていた。今年の実技試験もまだこれからだというのに、私はたまげた。う〜む。もっとピアノが上手になりたい。でも、私がもう一年、四年目の延長を決めると言ったら、親は嘆くだろうなあ。まあ、母は別として。

 私の勉強は、一体いつまで続くのだろう。何だか、とてつもないエベレストのふもとに来てしまったようで、私は少し切なくなった。無鉄砲に日本を飛び出した、昔の自分が懐かしくなった。でももうこうなったら、とりあえずの目標である明後日の試験を突破して、それからゆっくり考えるしかない。

 そしていよいよ、実技試験当日がやって来るのである。それも、予定より、1日早まって!

九十二 リハーサル

 リハーサルは、まず初めに、大曲であるコンチェルトから行われた。

 学生たちは張り切って臨んだ。これは、早々に五月上旬に行われたので、まだまだ出来上がりはこれから、というところだ。私は軽めのモーツァルトだが、皆、ラヴェルやラフマニノフなど、難曲にチャレンジしていた。すごいなあ。ラヴェルのコンチェルトは大好きだったので、もしも私が五年目も残っていたら、ぜひやりたい曲ではあった。二楽章の旋律は素敵だったし、フルートが入ってくるところなんてもう、聴くだけで泣けてくる。アンリオ先生もお得意の、憧れの曲であった。

 さて、本番直前のリハは、六月二十五日。一週間前を、切っていた。

 その日は夜七時から始まり、コンセルヴァトワールのホールにて行われる。

 私は最後から二番目に弾いたので、すでに十時近くになっており、体力は限界で、弾き始める前から疲れてフラフラしていた。こりゃあ、うまくは弾けないな。仕方ない。何とか、弾くだけでもいいや。と思いながら舞台にあがり、モーツァルトのコンチェルトから弾き始めた。ああ、あんまりいい出来ではないかもしれないな…とぼんやり思いながら弾き終え、コルニル先生の方をふと見た。

「ブラボー、カオル!」

 と先生は、ステージの私に向かって言った。

 え?今、先生は何て言った?

 私は、キツネにつままれた感じだった。

 が、先生は、パーフェクトだから、そのまま動かすな、わかったか。と一言おっしゃい、そのまま次の学生へと移った。

 聴いてくれていたユキや、アシスタントたちも、「とっても綺麗で、モーツァルト!って感じ。良かったよ!」と言ってくれる。

 そうか…?あんまり、気負わない方がいいのか。私は疲れていたので、完全に力が抜けていたし、それがかえって幸いしたのかもしれない。このホールの響き、音色…何となく、わかったかもしれない。奈良先生にも一度、私にはコンセルヴァトワールのホールの響きは合っているんじゃないか、と言われたことがあるのを思い出した。どうしたら音を遠くまで、綺麗に飛ばすことができるか。研究してみよう。

 そんなことを考えながら、試験日三日前の、学生たちで予約したリハーサルの日も迎えるのである。
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